天海僧正の風水的都市計画

●江戸の鬼門封じと五色不動

 徳川家康から家光まで三代の将軍仕え、江戸の都市計画から日光東照宮の造営まで行った天海僧正という人物がいる。天海僧正については、その出生から、どうして高度な風水や陰陽道の知識を有していたのか、そして、いつ、どこで、何をきっかけに徳川家康に見出されたのか、その人生が深い謎に包まれた人物だ。一説には、織田信長を打った明智光秀がじつは天海僧正で、秀吉の手を逃れて、家康の元に走ったという話もある。

 その天海僧正は、もともと風水的には地勢の良くなかった江戸を平安京を凌駕するほどの風水都市に仕立て上げたと言われる。も江戸城の鬼門に当たる上野には、東叡山寛永寺が置かれ、反対の裏鬼門には目黒不動が配された。平安京の鬼門を守護するのは比叡山。江戸城の鬼門を封じるのは、東にある比叡山で東叡山というわけだ。

 上図は、江戸の鬼門と裏鬼門を結んだラインだが、面白いことに、見事に国会議事堂の中心を通っている。 昭和11年に完成した国会議事堂をこの位置に定めたのは、いったい誰だったのか?  そんな興味も湧いてくる。

 さらに都心部に注目してみると、江戸城を取り囲むように、目黒不動(目黒区竜泉寺)、目赤不動(文京区南谷寺)、目白不動(豊島区金乗寺)、目青不動(世田谷区教学院最勝寺)、目黄不動(台東区永久寺)の通称「江戸五色不動尊」がある。陰陽五行説では、それぞれの色が水、火、金、木、土を表し、この五つのエレメント(要素)で万物は成り立ち、それぞれが相克し、結びつき、循環していくことで現象世界が形作られているとした。陰陽五行は元々中国発祥の考え方だが、それが日本に入って、陰陽道に発展していく。

●日光東照宮

 徳川家康を祭る日光東照宮も天海によって造営されている。「東照」とは、「東の天照大神」という意味で、比叡山と東叡山との関係と同じく、朝廷の守り神である天照大神に習い、家康を東国の天照として神格化したものだ。陰陽五行説では、紫微宮に天帝が住み、そこから生命を司る力が流れ込むといわれる。紫微とは、北極星のこと。天帝は、北の果てに住むと信じられていたわけだ。天照=天帝となった家康は、江戸のはるか北方にあり、江戸とその幕府を見守ることになったというわけだ。

 その日光と江戸城を結ぶラインには、多くの寺や神社が並ぶ。東照宮から江戸のほうを拝むと、目の前には東国での天台密教の総本山ともいえる輪王寺がある。西の天台宗総本山といえば、言わずと知れた比叡山。この配置の意味は深い。

 さらに、現在の都心部に目を向けてみると、ここにも、東京ドーム、六義園、旧古河庭園...と、興味深いランドマークが並ぶ。東京ドームは、水戸徳川家の江戸中屋敷の中園として、徳川頼房から光圀の代に造営した小石川後楽園の一角に位置している。

 そしてそのすぐ北に位置する六義園は、後楽園とともに江戸の二大名園に数えられたところで、五代将軍・徳川綱吉の寵臣であった柳沢吉保が造営した。

 さらにその北にある旧古河庭園は、はじめ、明治の元勲・陸奥宗光が邸宅としたところで、宗光の次男が古河財閥の養子になり、「古河庭園となったところ。

 後楽園、六義園、古河庭園は、いずれも園内に大きな池を配した庭園で、それはあたかも、遠く東照宮から通じる流脈を引き継ぎ、その力を増して江戸城へ受け渡しているかのように見える。

 天海僧正が江戸に凝らした風水の仕掛けはまだまだたくさんある。それは、いずれこの江戸=東京特集で、各論として紹介していきたいと思う。

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