2002.04.21 大地のエネルギーバランス


 大きな土木工事では、その工事の場所や規模から事故で亡くなる人の数があらかじめ予測できる。その補償のための費用が算出され、あらかじめ工事の予算に繰り込まれている。そんな話をある土木工事関係者から聞いたことがある。かつての「人柱」という習慣が、形を変えて生き残っていることに驚くと同時に、大地と人との関わりあいがじつはとても深いものだと実感した。

 土地に秘められた何かの力、目に見えない、現代の技術では計るすべのない未知の力、そのようなものがあると思う。土地を改変すれば、本来は均衡しているその「力」のバランスを崩すことになる。その「力」が、生命エネルギーととても似たもの、あるいは生命エネルギーと変換可能なものだとしたら...。

 地鎮祭=土地鎮めは、普通の民家を建築するときにも行われる身近な儀式だ。単なる迷信だと思いながらも、人生の中での一大イベントであるマイホームの建設の際に、これを省く人は少ない。

 人が、「この家は住み心地がいい」というとき、単に家屋の作りが合理的で生活しやすいというだけでなく、家が立つ土地の持つ雰囲気も含めている。人が、「住み心地が悪い」というとき、その家=土地に、自分の力=生命エネルギーを吸い取られているように感じてはいないか。本来、人は、土地に秘められた力を感知することができる。その感覚が、地鎮祭を迷信として省略してしまうことを許さないのではないだろうか。

 一昨日、久しぶりに会った友人が、引越し先がどうにも居心地が悪くてしようがないので、八方除けのお札をもらってきて貼ったら、ガラッと雰囲気が変わって住みやすくなったと言った。
 「別に霊感なんてないし、そういう方面に関して胸を張って鈍感だといえる俺が八方除けなんて笑うだろ。じつは、かみさんのほうが、家にずっといるせいもあるだろうけど、なんだか嫌な感じがするというので、八方除けを貼ったんだけど、その後、家にいると、たしかに前より住み心地が良くなった気がするんだよ。しかも、仕事もうまくいきはじめるし、不思議だね」

 ガイア思想からすれば、地球も生命体の一つであり、生命エネルギーによって生かされている。そのバランスが崩れれば、当然、修正しようとするだろうし、損なわれたエネルギーを補填しようとするだろう。宇宙レベルでも虫のレベルでも恒常性を保とうとするホメオスタシスは共通のフィードバックシステムだ。バランスを欠いたガイア=大地は当たり前のように人間の持つエネルギーを吸収してバランスをとるだろう。

 マイホームのレベルなら、居心地が悪いと感じたり、体調を崩したりする程度で済み、それも八方除けや風水的な操作で解消できるかもしれない。だが、大掛かりな土木工事となれば、エネルギーバランスの崩れ方も桁外れになる。元のバランスを取り戻すためには、八方除けや呪いだけでは済まず、多くの生命エネルギーを必要とする...。自然を切り開いて建設された文明が、カタストロフィに見舞われたとき、人はそれを理不尽と受け止めると同時に、起こるべくして起こったとどこかで感じるのではないか。

 人柱や生贄を肯定するわけではない。アルカイックな文化の中に見られるそうした行為、習慣が、ヒューマニズムの観点からすれば「無知蒙昧」と一蹴されてしまう。だが、いったんヒューマニズムを離れて、人を一種のコンデンサーに見立てたならば、人柱や生贄は、合理的に考えられたエネルギーマネジメント工学ではないかという気がするのだ。

 さらにプリミティヴな文化にまで遡れば、より洗練されたエネルギー工学を用いていたのではないかと思える。バランスを欠いた大地を調整するために人に蓄えられた生命エネルギーを補填するのではなく、もっと大きな、宇宙的規模のエネルギー循環を利用していた。最近見直されている風水もその工学の一つであり、レイラインもその系譜に並ぶものではないかと思う。それは、レイライン探索の旅=聖地を巡る旅を通して、五感と第六感に受けた、ぼくの実感だ。

 

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