4月28日から5月5日までの8日間、北海道の芦別をスタートして宗谷岬をまわり、九州最南端の佐多岬まで駆け抜ける文字通りの日本縦断ラリー「TOUR DE NIPPON」を完走、先日、東京に帰還しました。
BMWR1150GSという大陸横断をターゲットにしたタフなオートバイで、目まぐるしく変化する日本の自然の中を、その息吹をダイレクトに感じながら駆け抜け、あらためて、日本の自然の多様さと、奥深さを感じさせられました。
まず、久しぶりに北海道に上陸して感じたのは、ここはまぎれもなく大陸の一部であるということ。雰囲気やイメージがどうのというのではなく、もう、本土とは即物的に匂いが違います。北京やロサンゼルスの空港に降り立って空気を吸うと、乾いた中にかすかに泥炭や石油のような化石燃料のような匂いが感じられます。地表をオブラートで包むように植物が覆う島とは違う、むきだしの大地の匂い。ここは、人間よりも自然のほうが主役。人は、常に自然を意識しながら暮らしている...そう実感できます。
今まで、北海道は何度か旅をしていますが、今回の旅で、オホーツク沿岸やサロベツの原野に建ち並ぶ巨大な発電用の風車を初めて見ました。荒涼とした景色の中に、白く優美な風車が聳え立ち、ゆったりとその羽根を回して地球の息吹そのものである風をエネルギーに変換する様、その「シュン...シュン」という自然な鼓動は、とても心を落ち着かせるものがありました。同じ巨大建造物でも、高速道路やトンネル、橋といった自然を征する形に作られたものとは、根本的に異質な、とても利に適ったものとして、風車は見えます。それは、風景の一部として、見ているだけで涙ぐんでくるような美しさがありました。ただ、皮肉なのは、海の向こうに見える利尻富士を仰ぐサロベツの風車は、その背後に、人類の文明が生み出したもっとも厄介な廃棄物を埋めるための最終処分場が控えていることでした。
最果ての荒野に自然との共生を象徴する風車と、自然からもっともかけ離れた汚染物質がある。そして、ここには、ぼくにとって、とても懐かしい人が住んでいます。今回は、レースの途中ということもあって、ヘルメットも脱がずに挨拶した慌しい訪問でしたが、その人は、ぼくの姿が見えなくなるまで道に出て、手を振り続けてくれました。厳しい自然に耐えながら、健気に生きてきたこの土地の人たち。自然が厳しいだけに、逆に人に対しては心底優しい人たち。そこにあるのが、新たな未来を象徴する風車だけなら、ぼくの心は和んでいたことでしょう。でもその背後の地下に秘められるもののことを考えると、どうにも胸が締めつけられます。「今度は、ゆっくり訪問しますから...」。バックミラーの中で小さくなっていく人に向かって何度も何度も誓いました。
北海道を二日で駆け抜け、津軽海峡を渡って、八甲田、奥入瀬から十和田湖へ。根回り雪が残り冬から目覚めたばかりの八甲田、瑞々しい新緑の奥入瀬と十和田。やはり本土は北海道とは違って島なのだと感じます。この空気の中には、細胞の隅々にまでいき渡る潤いがあります。
途中、八甲田から途切れた雨雲の向こうに津軽富士「岩木山」が遠望できました。日本各地には、その土地を象徴するランドマークである「富士山」があります。その形は千差万別で、とりまく環境も様々。そのご当地富士の環境が、じつはそれぞれの土地の個性に大きく関わっている気がします。目に見えるその山の形や、山がもたらす恩恵、そしてときには噴火といった荒々しさ...それらが全て土地の個性につながって行く。それは、そのまま土地に暮らす人々の気質となっていく。そう考えると、人は生まれ育った大地そのものであるともいえます。
さらに南下して、宮沢賢治の故郷「イーハトーブ」のやさしい自然の中に飛び込むと、レースのことを忘れて、とても穏やかな気分になります。緩やかな起伏を描いてどこまでも続く草原、そして盛岡の盆地を挟んだ向こうには、イーハトーブの象徴「岩手山」があります。全てがまろやかなイーハトーブは、宮沢賢治が描いたファンタジーが、幻想や物語ではなく、現にここにあるリアルな存在だと感じさせてくれます。草原の向こうからカンパネルラやジョバンニが、今にも、楽しそうに駆け出してきそうな、こんもりとした林の奥では、夜になると密かな料理店の明かりが灯りそうな、そんな気がします。
北上山地を抜けて南下すると、次第に山が大きく深くなっていきます。蔵王を抜け、磐梯山の裏にひっそりたたずむ五色沼のほとりに辿り着くと、そこはイーハトーブとは逆に、現実のほうの存在感が薄い「異郷」の気がします。夜中の会津街道を辿っていると、自分が異郷の中に迷い込んだたった一人の人間であるような、不安がのしかかってきます。そこは、自然が、まだ人間を安心させるほどこなれていない、いわば荒御霊が漂う土地のような気がします。北海道は、人間に対して厳しくとも、自然そのものが持つ魂は丸く穏やかなもの。でも、会津から奥只見の自然は、まだまだコントロールできない荒々しい力を内に秘めて、そこに不用意に入るものを拒んでいるかのようです。
ここまで、目まぐるしく移り変わる自然を経巡ってきて、あらためて、鎌田東二が使った「日本という身体」という言葉がリアリティを持って迫ってきます。一ヶ所として同じ場所はなく、それぞれの場所は際立った個性を持っている。でも、通観してみると、それは「日本」という言葉で結ばれている一つの大地でもある。忙しくその中を駆け抜けていくぼくたちは、その身体の中を流れる血液なのかもしれない...そして、知らず知らずのうちに、滞留した「気」をそれぞれの土地から受け継いで循環させているのかもしれない。
自分が日本という身体の血液として流れつづけていくと、日ごろバーチャルな世界に浸って滞ってしまっていた自分の中の血液までもが、同じように活性化していくような気がします。日本という身体も一つの生体としてたしかに息づいている。それを構成する人間も息づいている。そして俯瞰して見れば、地球という生物も息づいている。そのどれかが病めば、全てが病んでしまう。日本を、地球を健康で躍動させるためには、まず自分が健康でなければならない...。確かなミクロコスモスとマクロコスモスの照応を感得できます。
峻険な中部山岳の山懐に入ると、今度は、よりプリミティヴな自然を感じます。人に対して優しいとか峻厳だとか、擬人化して例えられるようなものではなく、人間などおかまいなしに孤高の存在としてある。それにとりつく人間は、卑小な存在としての自分を自覚して、孤高の自然が見せる一瞬の和みをついて、その懐深く飛び込み、そして脱出してくるしかない。かつて足しげく通った北アルプスの3000m峰たちが、とても崇高なものとして迫ってきます。
そして四国。脊梁山地から波紋のように派生した山襞が海にぶつかり、全体がその緑濃い山襞に覆われている。視界が開けるところは少なく、否応なく、自分に向き合わされてしまいます。そんな四国のバックロードを辿っていると、遍路の姿を多く見かけます。一人、杖をついて地面を見つめながらひたすら歩んでいる者、散策するようなゆっくりとしたペースで雨の中でも楽しそうに歩む夫婦連れ、白装束に菅笠の遍路姿で自転車を漕ぐ若者...。いったい、彼らは何を思って遍路の旅に出たのか? どんな体験が、きっかけで四国へ足を向けることになったのか? 街から遠く離れた山奥で黙々と歩く遍路の姿を見かけたりすると、人生の悲哀と同時に、それをなんとか克服しようというちっぽけな人間存在の健気さを感じます。それが人間そのものであり、自分そのものであるのでしょう。
九州は、自然も人も「濃く」、「おおらか」です。暗いダートロードをヘッドライトの光だけを頼りに辿っていると、叢から野ウサギやテンが勢いよく飛び出してきて、目の前をずっと駆けて行きます。鬱蒼とした暗い森でも、生き物の気配がたくさん感じられる。そして、森自体の生命力もとても強く感じられる。その「濃い」生命の息吹を吸い込むと、自分の中にも生きる力が漲ってくる。自然もそこに暮らす人も元気がいいことのわけが、たちどころにわかります。
四国のSSでも九州のSSでも、同じように過酷な試練に晒されました。いや正確にいえば、九州のほうが過酷だった。でも、「自分で考え、自力で脱出しろ」と冷ややかに突き放すような四国では非常な苦しさを感じたのに、「がんばれ! がんばれ!」とずっと励まし続ける九州では、過ぎてみれば楽しい経験でした。どちらが良いのでも悪いのでもなく、それは、その土地と土地に育まれた人間の個性の違いなのです。
5月5日22時15分。ついに九州最南端の佐多岬に到達しました。残念ながら本当の岬までの道はすでに夜間閉鎖となっていて、岬を間近に見る海岸がゴールでした。そこには、ただ静かに波が打ち寄せるだけでしたが、「日本の自然を堪能する」という、ぼくのアプローチの幕切れには、それが相応しいものだと思いました。
一週間のラリー、旅。日本列島の端から端まで、とびきり深い自然を繋いで辿るにはミニマムともいえるその時間の中で、ぼくは、体験の長さではなく、深さがとても重要なのだと痛感しました。そして、日本という身体の健康のために、地球という生命が輝き続けるために、まず、自分が心身ともに健康で輝いていなければいけないと自覚しました。
*ラリーの詳しい模様は、「TOURING WAVE」の特集でレポートしています。こちらも、ぜひご覧ください。http://www2.mapple.net/touring/tdn/
**このコラムは「OUTDOOR BASIC TECHNIC」のコラムより転載しました。
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