2002.11.14 大地性

 先日、日曜日から火曜日まで「東国三社」を巡ってきた。すでに特集のほうでも取り上げているが、東国三社とは、茨城県南部から千葉県北部に点在する鹿島神宮、息栖神社、香取神宮の三つの神社を指す。

 記紀神話の「国譲り」のくだり。天つ神が地上に遣わされ、大国主神に国譲りを迫る。そのとき高天原から降ったのが鹿島神宮の祭神武甕槌神(建御雷之男神=たけみかづちのかみ)、香取神宮の祭神経津主神(ふつぬしのかみ)、そして息栖神社の祭神天鳥船神(あめのとりふねのかみ)という三柱の神だった。経津主神は武甕槌神が身につけた神剣が化身した神で、天鳥船神は降臨する際の乗り物が化身した神という見方もある。いずれにせよ、この三神は一体であるといえる。

 三神が一体であることを示すように、東国三社は大地に直角二等辺三角形を描くように配置されている。そして、香取神宮と息栖神社は正確に東西線上に並んで三角形の底辺を成している。

 また、普通の神社は本殿が南を向いているものだが、鹿島神宮では逆に北を向いている。これは、朝廷の東国平定の拠点となっていた鹿島神宮が、まつろわぬ民の住む北方に睨みを効かせているのだといわれる。

 神社仏閣やら古代の遺跡を巡って、それぞれの関係性を探っていくと、意味もなく作られたものなどなに一つないことがよくわかる。単に実用性だとか経済性だとかいった現代的な意味合いではなくて、もっとずっと深いシンボリックな意味が必ず秘められている。そんな「意味」に行き当たると、現代人が忘れかけている古代の意識に触れたような気がして嬉しくなってくる。

 また、大地に記されたレイラインを辿っていると、特定の場所を聖別し、その聖地を結びつけた古代の人たちは、しっかりと大地に根ざしていて、人と話をするように、大地と交感できたのだろうと思えてくる。あるいは、それは一般の人々ではなくて、「シャーマン」と呼ばれるような、特定の職能の人間、あるいは才能を持った人に限られるのかもしれないが、そこには、普通の人たちが、「シャーマン」を大地との交感の仲立ちとして認めていたことで、やはり大地に繋がっていたということができるだろう。

 鈴木大拙は著書『日本的霊性』の中で、「大地性」という一節を記している。「天日は有難いに相違ない。またこれなくては生命はない。生命はみな天をさしている。が、根はどうしても大地におろさねばならぬ。大地に関わりのない生命は、本当の意味で生きていない。天は畏るべきだが、大地は親しむべく愛すべきである。大地はいくら踏んでも叩いても怒らぬ。生れるも大地からだ。死ねば固よりそこに帰る。天はどうしても仰がねばならぬ。自分を引き取ってはくれぬ。天は遠い、地は近い。大地はどうしても母である、愛の大地である....」(岩波文庫より)。

 大地にしっかりと根を下ろしていればこそ、天の営みを美しく感じることもできるのだろう。ようやく、そんなふうに思えてきたけれど、自分の足元を見ると、いったいどこに地面があるのやら....「シャーマン」への道はまだまだ遠そうだ。

*今回の東国三社取材の詳細は、12月15日発売のBMWBIKES誌(ネコパブリッシング)で発表します。

香取神宮の北に位置する一の鳥居。鹿島神宮の一の鳥居と結ぶラインは正確に北東-南西になる。利根川を渡る神橋は、このラインにぴったり重なる

(昭文社「TOWRING WAVE 木曜コラム」にも併載)

 

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