2003.01.27 宿魂石(しゅくこんせき)

 今、今年の取材計画を立てる意味もあって、これまで集めてきた情報やいろいろな推論を整理している。そんな中で、去年の夏に訪ねた石川県の「石の木塚」と茨城県にある「大甕神社・宿魂石」が同じ緯度に位置していることに気づいた。

 それだけなら、由来不明の巨石遺構がたまたま同じ緯度にあったというだけのことだか、他の要素を考えると、共通性や新たな謎が浮かび上がってくる。

 まず、この36゜30'Nラインの西端にある石の木塚。ドルメン様の立石が東西南北に配置されていて、方位を意識しているのは明らかだ。その東を示す石の先には、天台密教に縁の深い奥医王山頂があり、両者の間のライン上には、神社仏閣が多く並んでいる。そのラインをずっと東に伸ばし、海に出会ったところにあるのが宿魂石。

 石の木塚の周辺と宿魂石の周辺を見回すと、もうひとつ、興味深い関係が浮かび上がってくる。それは、皇祖皇太神宮の存在。竹内文書で有名な皇祖皇太神宮は、もともと富山にあったものだが、昭和の初期に宿魂石の北、磯原という場所に移転した。

 皇祖皇太神宮が、日本海岸から太平洋岸へ、ほとんど同緯度の場所へ移動しているのが、気にかかる。石の木塚−宿魂石ライン

 西の石の木塚から富山、能登の周辺を見ると、能登一の宮でやはり巨石信仰と関係の深い気多大社あたりには、意味ありげなラインが浮かび上がってくる。立山雄山神社のご神体の一つである尖山と雄山神社、皇祖皇太神宮、高岡の二上山射水神社、気多大社を一直線に結ぶライン、気多大社と縄文真脇遺跡、鉢ヶ先を結ぶラインは寄りイルカにまつわる伝説に深い関係があると同時に、邑知潟断層帯という活断層にぴったり一致している。

 


 宿魂石の緯度は36゜30'27"、石の木塚は36゜30'30"、わずかに

 

 

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