2004.03.08 シャンバラの夢

 2003年は、プライベートなことで激動が続き、レイラインの本編のほうも、このコラムもなかなか更新できずに過ぎてしまった。人生というのは本当に予期しないことが時として起こるものだと実感させられた一年だったけれど、今、落ち着いて振り返ってみると、それは自分にとっても周囲にとっても必然的に巡ってきたことであり、自分に足りなかった何かがそこで少しは埋められたのだという仄かな感覚が残っている。

 大きくジャンプする前には、「溜め」が必要だ。ぼくにとってのこの一年間は、まさに大きなステップを踏み出すための充電期間だったのだろう。

 

■シャンバラの夢

 エルドラド、桃源郷、籠宮、シャンバラ....人々は、この世のどこかにあらゆる苦難から解放され、人々が自由に暮らせる理想郷があることを夢想し、実際にそれを探し求めて辺境へと分け入り、あるいは瞑想の彼方を探ってきた。

 ぼくが土地に秘められた雰囲気「ゲニウス・ロキ」との出会いを求めて旅を続けているのも、そんなシャンバラへの憧憬の一種なのかもしれない。

 そして、ぼくは、この一年間に溜めたエネルギーを使い、実際にユーラシアの中央部へシャンバラを求める旅に出発することにした。

 20年あまり前、ぼくはシルクロードの核心部を巡った。そこで出会った異質な文化や民族は、まだ20代半ばだったぼくの精神に多大な影響を及ぼした。どこか懐かしさを覚える人々の表情、モノトーンの砂の文化があるかと思えば、緑の大平原を悠々と渡っていく風のような文化がある。そして、様々な信仰の形....。民族や文化の多様さに対して、どこかコアな部分では、ガイアに共感し共生する人間同士として深い繋がりを持っているという安心感。

 あの旅をきっかけに、ぼくはガイアと共感する技術を持った特別な人間たち「シャーマン」に興味を抱き、その世界へ踏み込んでいった。

 この秋、ぼくは自分の思索の旅の原点となった土地を再び訪れ、さらにシャンバラというテーマを据えて、西へと足跡を伸ばすことにした。

■鞍馬とヒマラヤを繋ぐ糸

 以前、このコーナーでも触れたことがあったが、京都・鞍馬山には「ウエサクサイ」という奇祭がある。五月の満月の夜、聖水を満たした盥に月を映し、その神秘な力を水に転写する。その水は、灯明を点して祈りを捧げる善男善女に分け与えられる。

 五月の満月を見上げて人々が祈る様は、鞍馬を開いた魔王「サナート・クマラ」が遠く星の世界からやってきたという伝説とかぐや姫伝説を彷彿させる。そして、ウエサクサイがヒマラヤ起源の祭りに極似していること、鞍馬の地下はヒマラヤ山中にあるシャンバラに通じているという伝説が、想像力を一気に飛翔させる。

 鞍馬の「ウエサクサイ」を導入として、シャンバラを求める旅は、中央アジアへと飛ぶ。

 

■幻の王国から聖地カイラスへ

 秋、旅は中国新疆ウイグル自治区の区都ウルムチからスタートする。この街は、18年前にシルクロードを巡る長期の旅をしたときの基点となった街で、そのとき以来の再訪となる。

 かつては日干し煉瓦を積んだ家が軒を連ねる街路に馬車と自転車が行き交っていたが、今は近代都市に生まれ変わり、街には新車が溢れているという。ユーラシア大陸のど真ん中に位置し「離海最遠的城市」と呼ばれるこの街がどのように様変わりしているのか、今から楽しみだ。

 そのウルムチを出発し、天山を越えて、古代シルクロード「天山南路」の要衝トルファンへ。さらに天山南路を西へ辿り、コルラからタクラマカン越えの道に入る。日本が四つも収まってしまうこの大砂漠は、かつて玄奘三蔵や法顕が仏教の奥義を求めて越えていった道であり、「タッキリマカン=一度入ったら二度と出られない場所」の名が示すように、多くのキャラバンが砂の幻となった。

 21世紀に入り、「西部大開発」の名の元に、タクラマカン砂漠の中心部には大石油基地が設けられ、縦断道路は巨大なタンクローリーが行き交う。でも、このか細い線を一歩外れると、そこはいとも簡単にすべてを飲み込む砂の海が待ち構えている。

 タクラマカン砂漠の南縁を辿る「西域南道」は、かつては今よりもずっと北を走っていた。砂漠が南へと膨張を続けるうちに、古代の道と東西交易の中継基地として繁栄を極めた古代都市はその海に飲み込まれて幻となった。そんな都市の一つ楼蘭から西へ300km、昨年、突如としてもう一つの都が姿を現した。

 もっとも近い街から500km、その間あるのは、ただ砂、砂、砂....。ラクダのキャラバンを組んで往復1ヶ月あまりかかるという。しかも、そこを訪れたことのある者はまだ数人しかおらず、彼らにも、再びそこにたどり着くことができるかどうが自信が持てないという。

 かつて、西のローマと東の平城京を結んで多くのキャラバンが行き交い、珍しい文物や知識に溢れた古代シルクロード。砂と陽炎が描く幻を踏み越えて、突然現れる奇跡のようなオアシス....それがシャンバラだったのだろうか。その幻の古代都市を求める旅は、来年の2月に予定している。今回は、タクラマカン砂漠の真中に立ち、その都の方向を見やって、往時の繁栄を想像してみる。

 今回はタクラマカンを抜けたら、そのまま南下して崑崙に入る。

 古今東西に、「宇宙観」は様々あるが、この世の中心に不動の世界軸が存在し、そこから、すべての力が湧き出し、血管のようにあるいは経絡のように張り巡らされたルートを通って世界中にあまねく伝わるという考え方は、不思議に共通している。中国では、ご存知のように、風水思想の中でタクラマカン砂漠の南に横たわる崑崙山脈がその源、世界軸とされる。

 砂漠を渡った我々は、標高0メートルから5000メートルの高みへ、一気に登って行く。そして、世界軸「崑崙」の中に深く分け入り、そこに湧き上がる「力」を実感する。

 さらに、崑崙を南へ抜け、チベット高原に入る。ここには、仏教、ラマ教、ヒンドゥー教の共通の聖地「カイラス」がある。

 世界でももっとも辺境といってもいい天上の聖地カイラス。自分の身を大地に投げ打って、大地と同化し、大地と宙を結ぶデバイスとしてわが身を捧げる。そして、大地と宙が混交する別な次元へわが身と世界を投げ出す「五体投地」。カイラスを巡る巡礼は、まさにシャンバラを目指しているのかもしれない....。

 

■チベット・密教の精神が辿った道

 チベット高原に入ったら、ヒマラヤの北麓を辿りながら東へ進む。チョモランマ(エベレスト)のベースキャンプまで足を伸ばし、その偉容を眼前に拝む。さらにメインストリームから外れた、仏教の自由なサブセットともいうべきチベット仏教や密教が東漸していった痕跡を辿る。

 「世界宗教史」という偉業を成し遂げたミルチャ・エリアーデの著作の中に、「ホーニヒベルガー博士の秘密」という不思議な掌編がある。東洋神秘思想に通暁した主人公のもとに、ある日「失踪した主人を探して欲しい」という依頼が入る。

 やはり東洋の神秘思想に魅せられ、シャンバラを追い求めることに取り付かれたホーニヒベルガー博士が、ある日突然、密室の書斎から忽然と姿を消してしまった。その行方を追えるのは、博士が求めていたシャンバラへ至る道を想像できる主人公しかいない判断した未亡人が嘆願に訪れたのだ。

 主人公は、博士の書斎に篭り、博士の精神が辿った道をトレースするうちに、ついにサンスクリットで記された博士の「実践」の記録に突き当たる。そして、シャンバラへ至る道が徐々にはっきりしてくるが、そこに秘められた恐ろしいリスクも明らかになっていく....そんな世界が描き出されている。

 古今東西の宗教、信仰体系を詳細に探求することに全人生を捧げたエリアーデが、学術論文には表現しきれない、いや表現しえない何かを小説という形で伝えようとした。

 シャンバラを辿るチベットの道を想像するとき、エリアーデのこの著作がシンクロして浮かび上がってくる。さらに、不老不死というこれも一つのシャンバラを求めた徐福の姿や、遣唐使として大陸に渡り、様々な神秘思想に触れて「東密」という仏教というにはあまりにも呪術めいたサブセットを完成させた空海の姿が思い浮かぶ。

 ヒマラヤ山麓には、仏教だけでなく、ヒンドゥーやイスラム神秘主義、体系に囚われないシャーマニズムなどが、いまだに密かに息づいている。それらを辿り、天空に聳えるラサの都に辿り着いたとき、いったいぼくの心象風景に何が映し出されるのか....。

 今、新しいステージへ移るきっかけとなるであろうその旅について、様々に思いを巡らせている。

 

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