もう20年以上も前になるが、大学1年生のとき、ぼくは小田急線で新宿から向ケ丘遊園にある大学まで通っていた。教養課程の1年間、郊外のベッドタウンから都心へ向かう朝の通勤ラッシュと反対に郊外へと向かう列車の中で、のんびり先頭車両に乗って、遠くの景色を見るのが好きだった。
新宿からしばらくの間はトンネルの中を行く。代々木上原で地上に出て、井の頭線と交差する下北沢の駅までは、密集したビル群の間を縫うように走る。ところが、下北沢を過ぎると狛江まで、9kmあまりも前方が開ける直線路になる。線路すれすれまで、両側にビルや住宅が迫り、彼方に見える開けた点まで一直線に向かう電車は、タイムトンネルを抜けていく装置のように思えたものだった。
そのときは、この直線部分だけ用地買収がうまくいって、無駄のない直線になったのだろうぐらいにしか思わなかった。それから学校が都心のほうに移ったこともあり、小田急線に乗る機会もなくなって、都心の中の直線路のことも忘れてしまっていた。あれから、20年以上も経って、デジタルマップの中で小田急線の直線路に再会するとは思ってもみなかった。
「鹿島トライアングル」の中では、鹿島神宮、香取神宮、息栖神社の東国三社を中心に、相互の関係と周辺のことを主に紹介して、広いスケールの話は、ほんの触りを紹介するに留めた。じつは、東国三社の要ともいえる鹿島神宮は、他の二社との関係だけでなく、もっと大きなスケールで見て、他の聖地と深い関わりを持ち、この社を基点とするレイラインを数多く引くことができる。それは、いずれ別な項目を立てて詳しく紹介するつもりだが、そんなレイラインのひとつ、鹿島神宮と富士山を結ぶラインをデジタルマップで調べているうちに、その小田急線直線路に当たったというわけだ。
鹿島神宮から見て、富士山は、冬至の日の入りの方向になる。小田急線の9kmにも及ぶ直線路は、このラインにぴったり重なる。鹿島神宮と富士山を結び、そのラインに沿って、デジタルマップをスクロールしていく。すると、皇居の北の一角、かつての江戸城本丸の上を通り、赤坂迎賓館から明治神宮の表参道鳥居がきれいに並ぶ。江戸は、天海上人が風水的な仕掛けを凝らした街であり、明治になって風水テクノロジーを代表する天皇権力がここに移ってきたわけだから、こうした構図ができるのは納得できる。鹿島−富士山ラインに天海や天皇縁のランドマークが並んでも、それは当たり前のこととして映る。
ところが、明治神宮を過ぎて、さらに西に行くと、奇妙なことがおこる。このラインに定規を当てて引いたように、鉄道線路が通っているのだ。それが、小田急線の直線路だった。鹿島−富士山ラインと並行しているというのであれば、それは偶然の一致で片付けられるかもしれない。並行するラインなら冬至の入日に向かってまっすぐ伸びる直線で、冬至の入日の方向を知っていた建設者が、遊びのつもりか縁起をかつぐかして、そんなふうに線路を直線にしたと思えなくもない。だが、並行しているのではなく、見事に重なっているのは、どういうことだろうか。これは、鹿島−富士山ラインをはっきり意識して、何かの意図に基づいて建設したとしか思えない。
この小田急線直線路の謎については、これから調査してみようと思っている。とりあえずは、冬至の日の夕方、先頭車両に乗って、何が拝めるのか確かめてみたい。
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