伊勢といえば、古くから「伊勢参り」に全国から人が押し寄せた聖地。天皇家の祭神である天照大神を祀る皇大神宮(こうたいじんぐう、
内宮=ないくう)と豊受大神を祀る豊受大神宮(とようけだいじんぐう、外宮=げくう)の二つの正宮を中心に、125を数える宮社からなる。
これだけ大規模な聖地は、日本で最大であることはもちろん、世界的にも稀有な規模といえる。
その伊勢で生まれ育った友人が、自分の故郷について、真顔で言ったことがある。
「お伊勢さんには、間違いなく神様がいる。お参りするといつも、あの広い境内を包み込んでいる大きな存在を感じるんだ。
他でも同じようなことを感じることがあるけど、お伊勢さんは比べものにならないくらい強い。境内の風景を思い出すだけで、
畏れおおくて思わず息をつめて頭を下げてしまうようなような、そんな感じ。それはやっぱり神様だと思う」
彼は、当時、法曹を目指す学生で、今でも変わりないが論理的な思考方法をする人だった。その彼が、急に抽象的な「神様」の話などはじめたので、
ぼくはかなりびっくりした。と同時に、理屈に合わないものを嫌う彼が「神様がそこにいる」と確 信する伊勢という「場所」が、
僕の気持ちの中で大きくクローズアップされた。
後に、はじめて伊勢神宮を訪れたとき、ぼくにも彼が言っていた「神様の存在」ということがたちまち理解できた。
巨木の立ち並ぶ林の中の道を玉砂利を踏みしめながら辿り、数ある社を一つ一つお参りしていくと、
個々の社を依しろとしてそこに降臨する神々の個性の違いのようなものまで感じられた。
ただ、ぼくはそれを「お伊勢さん」や「神」という概念に結びつけるのではなく、伊勢という土地に固有の「ニュアンス」として感じた。
それは、幾度も伊勢を訪ねた今でも変わらない。
「お伊勢さん」や「神」というと、2000年前に天照大神をはじめとする神々が伊勢に祭られ、
それを契機に聖別され特別な場所になったといった印象がある。だが、ぼくは、伊勢という場所は神々が勧請される以前から、
すでに聖別された場所ではなかったかと感じている。そして、「聖地」と呼ばれる場所は、
すでにそこが聖地として認知される以前からプリミティヴな「力」を秘めた特別な場所ではなかったか……。
 
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