聖地を包む「第一行」

「聖なる場所の記憶 ―日本という身体―」(講談社学術文庫)の中で、宗教学者の鎌田東二は、人に畏れを抱かせるけれどはっきりその存在を確認できないもの、普通の認識の外部に存在して「名づけ得ぬ」もののことを「第一行」と呼んでいる。

 「神」、「霊」、「エーテル」、「エネルギー」...宗教や神秘主義、ニューエイジ、様々な立場から「名づけ得ぬ」ものをあえて名づけようとされてきた。 だが、そこにはどうしてもそれぞれの立場固有の「色」がついてしまっている。それを存在の「第一行」といえば、そこには何も恣意的なものはなく、 プリミティヴな「力」のニュアンスを言い表すのにもっとも合っていると思う。

 鎌田東二が、日本各地の聖地を紹介し、そこに秘められた意味を探ることを主題とした本に「日本という身体」というサブタイトルをつけたその意図。それは、聖地を訪ねる旅をしてみればよく理解できる。

 聖地から発散される「第一行」は、まさに土地が生きて魂を持っていることの証であり、それを包含する日本という場所は一つの身体だ。

 人間の身体にツボを結ぶ「経絡」があるように、日本(ひいては地球)という身体にもツボと経絡があってもおかしくない。 人体のツボに相当するものが聖地とするならば、それを結ぶ経絡がレイラインといえる。

 レイラインハンティングは、日本という身体に秘められた「ツボ=聖地」と「経絡=レイライン」を再発見することである。

 鍼灸がツボを刺激して経絡を伝わる気の流れを活性化することで人体のバランスを直すように、レイラインを再発見し、そこに「気」を流すことで、 日本という身体、地球という身体のバランスを正すことができるかもしれないとも思う。

 今回は、日本最大の聖地である「伊勢」と、伊勢と同じ構造を持ちながら人知れぬ謎の聖地「元伊勢」を結び、 京都御所の鬼門を封じるレイラインの存在を明るみに出すとともに、それぞれの聖地の秘密を探っていく。 その前に、聖地とレイラインに深い関わりのある「第一行」について、もう少し補足しておきたい。

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