夏至の日に結ばれる伊勢と元伊勢

  「元伊勢」と呼ばれる場所は20箇所以上あると紹介したが、そのほとんどは、単一の神社か、朽ちかけた遺跡が残るのみで、伊勢へ落ち着くまで変遷していく過程の中で立ち寄った仮の場所、休み処という印象を出ない。ところが、京都府の北西、酒呑童子で有名な大江にある元伊勢だけは、様子が違っている。

  大江の元伊勢(以下、単に「元伊勢」と呼ぶ)には、天照大神を祭る皇大神社(内宮)、豊受大神を祭る豊受大神社(外宮)がある。外宮に祭られる豊受大神は、天照大神の御饌都神(みけつかみ=食事を司る神)であり、元伊勢創建の頃この地に降臨して、そのまま祭られたと伝えられている。現在の五十鈴川の辺に内宮が落ち着いたのは、日本書紀によれば、垂仁天皇26年(紀元前3年)といわれる。それから482年後の雄略天皇22年(478年)、天皇の夢枕に天照大神が現れ、「丹波がなつかしい。豊受大神に会いたい」と告げる。それを受けて、現在の伊勢の外宮に勧請されたと伝えられる。外宮は、まぎれもなく元伊勢が元宮であり、天照大神が告げた「丹波が懐かしい」という言葉には、元伊勢の重要性が端的に現われている。

 そして、元伊勢には、天岩戸神社、五十鈴川、宮川、真名井ノ池、宇治橋、猿田彦神社と、伊勢と共通する名称が次々に現われる。元伊勢全体が伊勢と同様の構造を持つ一大聖地となっているのだ。

 もっとも興味深いのは、伊勢と元伊勢が夏至の太陽で結ばれることだ。

 伊勢にとって自然のご神体ともいえる夫婦岩から夏至の日に昇る朝日は、そのまま「天孫降臨」の構図であった。その夏至の太陽は、近畿を縦断するようにぐるりと日本海側へ回りこむと、元伊勢のご神体である「日室岳」の頂上に没する。一年のうちで太陽の力がもっとも強くなる夏至の日、それは太陽神である天照大神のエネルギーがピークに達する日でもある。その力を余すところなく大地に受け取ろうとするかのように、伊勢と元伊勢は配置されている。その太陽の運行線、天照大神の辿る道が北東の鬼門を封じるように北西から南東にかけて横切るように配置されたのが、他ならぬ「平安京」であった...そのことについては、後に詳しく紹介するとして、まずは、元伊勢に目を向けて、その構造を検証してみよう。

 京都府の北西部、福知山から天橋立で有名な宮津へ抜ける街道は、両側を優しい起伏を描く山に挟まれた宮川の谷に沿って通っている。福知山から30分ほどで、大江町に入る。すると、街道のそこここで鬼が歓迎してくれる。金棒を構えて高笑いする赤鬼、愛想笑いを振りまきながら酒を勧める青鬼。山道の曲がり角に立つ鬼の人形は、昼間はユーモラスに映るが、夜、何も知らずにヘッドライトに浮かび上がる姿を見たら心臓が縮まるだろう。大江は、平安の昔、京都市中を荒らしまわり人々に恐れられた酒呑童子の本拠地として知られ、今では、観光の目玉になっているのだ。

 鬼の人形や「鬼饅頭」、「鬼そば」と、いまだに幅を効かせている酒呑童子とは対照的に、元伊勢は、注意していなければ見落としそうな看板があるだけで、観光客を誘致するアピールは何も無い。

 福知山から北上していくとまず右手に外宮がある。杉の木に覆われた小高い丘の麓に駐車場と社務所があり、そこからいきなり急坂の参道が始まる。この元伊勢は、内宮、外宮、天岩戸神社を合わせて「元伊勢三社」と呼ばれ、江戸時代には多くの参拝客が訪れたといわれる。外宮の参道に敷かれた石の階段の磨り減り方から往時の賑わいがしのばれるが、今は、他に参拝客はなく、ただ鳥の声だけが深い森の中に響いている。

 参道を登りきった山の頂きに黒い樹皮そのままの生木を組んだ鳥居がある。それを潜って、両脇に石灯籠が置かれた数段の階段を登ると、こじんまりした社が鎮座している。階段は長年の人の通行で窪んだ踏み跡がそのままで、社もどこにも飾り気のない、さびれかけたような趣だが、静まり返った森の中で、そこだけさらに真空のように静かな境内に立つと、意識しないうちに、社に向かって深々と頭を垂れている。

 宗教心が篤く、敬虔な人が神社仏閣にお参りに行く。それが一般的な言い方だが、ぼくは、レイラインを辿る旅をしているうちに、敬虔だからお参りに行くのではなく、お参りに行くから敬虔な気持ちになるのだと思うようになった。大方の人たちが、商売繁盛とか家内安全、厄除け祈願など、具体的な現世利益を求めて神社仏閣にお参りに行く。だが、お参りに行ったから、実際に現世利益がもたらされると信じていく人はほとんどいないだろう。ところが、聖域に足を踏み入れると、少なからず人は敬虔な心持になり、ご神体や本尊に向かって祈るとき、遊び半分やおざなりな儀式ではなく、何か大きなものに向かっている感覚を持つ。

 レイラインの旅で、様々な神社仏閣の聖域に足を踏み入れる度、かならず、自分の意識がそんなふうに変わる。ぼくは、元々宗教心が篤いとか敬虔なほうではない。神社仏閣を訪ねるのは、あくまでもレイラインを検証するためだ。いわば無感覚に聖域に足を踏み入れるわけだが、そのまま何も感じなかったということは皆無だ。まるで、空から「敬虔」という網が降ってきて、それにからめとられたように、おもわず身を正し、気持ちを引き締めてしまう。じつはそれこそが、土地に秘められた第一行なのだ。

 厳かな気持ちで外宮にお参りを済ませ、内宮へと向かう。

 宮川に沿った道をそのまま北へ辿り、古い街道らしき細道へ折れると、小さな集落の外れに隠れるようにして内宮の一の鳥居がある。こちらも参拝客の姿はなく、ひっそりとしている。

 鳥居の前にオートバイを止め、それを潜ると、明らかに空気が変わる。

 両側を杉の巨木に挟まれた坂道を登るにつれて、空気がさらに張りつめ、ひんやりとしてくる。内宮を取り巻く森がひとつの「意識」となっいて、鳥居を潜ったときからその意識の中に入りこみ、参道をたどることで中枢へと近づいていく...そんな感覚にとらわれる。参拝者はぼく以外におらず、ただひたすら森と対峙する中で、次第に自分が森と同化して行くような気がする。

  両側に杉の巨木が林立する参道を登りつめると、生皮がついたままの木を組んだ黒い鳥居が待ち構えている。その向こうに、杉皮を葺いた屋根の本殿が見える。外宮と比べれば内宮は規模も大きく、参道もよく手入れされているが、質素といえるほど虚飾がなく周囲の自然に完全に溶けこんでいる佇まいは同じだ。 

 鳥居を潜って境内に入ると、とても懐かしい気分にとらわれる。ここに来たのは初めてだが、幼いときに遊んでいた鎮守様の境内にふらふらと迷い込んでしまったような、今しも、おもちゃの刀を腰のベルトに差した幼馴染が木の陰から飛び出してきそうな気配。身の引き締まる威厳と同時に、体の力を抜いて境内に寝そべってしまいたくなるような安らぎ...。

 緊張と弛緩が一度に押し寄せる不思議な感覚に身をまかせたまま、お参りを済ませ、境内を散策していると声をかけられた。

 「どちらからいらっしゃいました?」
  それまで人の気配がまったくなかったので、空耳かと思ったが、振り向くと優しい笑顔の宮司が立っていた。
 「東京です」
 「ほう、それは、えらい遠くから。ありがとうございます」
  深々とお辞儀をされて、こちらも思わず腰を深く曲げてお辞儀を返す。
 「こちらは、由緒正しいお社なのに、あまり宣伝されていないんですね」
  大江町に入ってから、ずっと疑問に思っていたことが、口をついて出た。言ってしまってから、いきなり不躾だったかとも思ったが、宮司は笑顔を崩さず答えてくれた。
 「ここは、ほんとに信心深い方だけがお参りにみえられればよろしいと思っております。宣伝して、観光客が大勢みえられては、その信心深い方々にご迷惑ですからね」
  といって、一般の参拝を敬遠しているわけでもなく、元伊勢のことを知らずにふらりと旅人が立ち寄るのも歓迎だという。
 「知らずに訪れる方は、それなりのご縁があるからなのです。ご縁というものは、ありがたいものです」
 宮司は、そう言い足した。
 『ご縁』という言葉が、妙に心地よかった。レイラインハンティングという発想をしなければ、たぶんこの地を訪れることはなかっただろう。そして、宮司と言葉を交わすこともなく、深く納得できる『ご縁』という言葉も聞けなかった。それは、まさに『ご縁』以外のなにものでもない。
 「境内から、そちらに出られると、一願さんがあります。そこで、ご神体の日室岳を拝まれるとよろしいですよ」 
 そう静かに言うと、宮司は舞台の袖へ下がる役者のように姿を消した。

  本殿を正面に見て、左側の瑞垣の外へ出ると、すぐに宮川の谷を挟んだ向こうに、そびえる円錐形の山が目に入る。2000年にもわたる元伊勢の歴史を通してずっと禁足地とされてきたこの山は、人工的に作られたピラミッドと見紛うほど均整のとれた形をしている。

  天岩戸神社へと続く道の途中に、宮司が「一願さん」と呼んだ遥拝所ある。ここから夏至の夕暮れに日室岳を拝むと、ちょうど日室岳山頂に日が沈むというわけだ。「一願さん」から日室岳を拝んで願い事を一つだけすれば、それがかなうといい、この名で呼ばれている。折りしも、「一願さん」から日室岳を仰ぐと、その頂に太陽が差しかかりつつあった。空を切り取る円錐の山の端の上に、日輪をかけた太陽が浮かぶ。それは、宮沢賢治が描いた「日輪と山」の構図そのもので、眼前の光景の神秘性に打たれると同時に、心は一気に昭和初年のイーハトーブへと飛翔した。賢治は自然と接する中から、スピリチュアルなインスピレーションを数多く受けた人だが、「日輪と山」を描いたときの賢治の感覚が、そのまま共通体験としてぼくの中に湧きあがってくる。

  伊勢の夫婦岩から登る夏至の朝日に天孫降臨を目撃した古代の人々、そして同じ日に日室岳に沈む夕陽に向かって静かに拝み、大日神の恵みに深い感謝を捧げた人々、その人々と宮沢賢治をはじめとするスピリチュアルな感性に富んだ近現代の人々。その人々に共通する何か、そこにもレイラインのカギが隠されているかもしれない。 

 ぼくは、さらに元伊勢三社の一つ、天岩戸神社に参拝し、不思議な雰囲気に包まれた、元伊勢、大江の探索を続けた。そこで、不思議な光景を目撃することになるのだが、その話は、次章で触れることにしよう。

 

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