土地からの誘い

 土地に呼び寄せられる....レイラインを巡る旅をしているうちに、ぼくは、自分で選んだ土地を自分の意思で巡っていると思っていながら、じつは土地がぼくを呼び寄せているのではないかと思うようになった。

 土地は、地球に記されたツボであり、レイラインは経絡である。それを巡るぼくは、地球を癒すための「気」そのもの....。そう考えれば、主役はぼくではなく、ぼくが経絡を流れ、そのことで活性化されるツボや地球という身体が主役ということになる。

 もちろん、それでいい。ぼくは、地球が求めるままに、呼び寄せる土地を繋いで進んでいくだけだ。

 今年の夏、近畿の五芒星を巡る旅で久しぶりに熊野を訪れた。熊野は、大学時代からの親友が住む土地であり、日本最大の修験道場として一修験研究者として縁の深い土地だ。

 熊野に出かける直前、当の友人から突然電話がかかってきた。ぼくが、熊野を訪ねる予定で、こちらから電話するところだったというと、彼も驚いた様子だった。

「じつは....」と、彼は切り出した。

 ぼくは、学生時代から20年以上に渡って、熊野を訪れる度に、かれの実家にお世話になっていた。とくに彼の親父さんは、ぼくが父親を早くに亡くしたこともあって、じつの子供のように可愛がってくれた。その親父さんが、この春に亡くなっていたのだという。

「だから、今年は新盆なんだよ」と親友は、寂しそうに言った。

 親父さんが亡くなったこの春、ぼくは能登にいた。じつは、そのとき取材先を熊野にするつもりだったのだが、土壇場で能登に変更したという経緯がある。思い返せば、そのとき訪れていたら、取材どころではなかったはずだ。亡くなってすぐに駆けつけられなかった悔しさとともに、親父さんが気遣いしてくれて、新盆にゆっくり来るようにと計らってくれたような気がする。

 そして、友人から電話をもらってすぐ、今度は、中野の寺の住職で、毎年熊野本宮にお参りに行っている友人が重い病にかかってしまったという知らせが入った。熊野本宮のシンボル、ヤタガラスに縁の賀茂県主の子孫であるこの人とは、やはり熊野にまつわる縁で知り合った。

 久しぶりに熊野を訪ねると、知らぬ間に当の親友が、熊野で果てたとされる徐福の研究家になっていた。その研究仲間を紹介され、世界遺産登録を目指す熊野古道の関係者に引き合わされた。

 親友の親父さんの墓に参り、熊野本宮で、レイラインの調査とともに、住職の快癒を願った。まさに、その晩、住職の容態が落ち着いたという連絡が入った。

 熊野から戻ると、今度は、ある人から矢吹紫帆さんという音楽家を紹介された。NHKの「美の回廊を行く」という番組のテーマ音楽を手がけた人で、京都から熊野に移り住み、熊野灘が間近に迫る丘の上の徐福縁の土地にスタジオを構えている。熊野で徐福とくれば、件の親友が知らぬはずはない....やはり、旧知だった。

 土地にまつわる縁は、そんなふうに繋がっていく。熊野に関しては、後に、近畿の五芒星を巡る話の中でもっと詳しく話をしよう。

 今回は若狭。ここでも、土地の力によって引き寄せられたとしか思えない縁が関わってくる。これから、そんなことを軸に、若狭にまつわる不老不死伝説を追いかけてみたい。

『磁気を帯びたソングラインに、各部族の物理的、儀礼的旅は導かれていった。イニシエーションを授かった男女は、霊的身体を駆使しながら、肉眼では捉えることのできない微細なエネルギーの脈絡を旅する術を学んでいった。こうして彼らは、遥か彼方で、常に展開してゆくドリームタイムの実在にまつわる歌謡や舞や神話的ヴィジョンを交換することができたのだ。長老の主張するところでは、オーストラリアだけではなく、地球全体がある時期、こうしたソングラインで結ばれていたのだという。人々は、最愛の土地との関係を断ち切る必要などないのだ。土地のおかげで人々は、地球全体と結ばれてきたのだから。世界中の先住民の神話と宇宙観が良く似ているのは、世界中に張り巡らされていた霊的コミュニケーションのおかげなのだろう....』(「アボリジニの世界」ロバート・ローラー、長尾力訳、青土社)


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