八百比丘尼

 若狭の漁村に暮らす平凡な少女は、何事もなければ漁師と結婚し、母親となって、若狭の穏やかで恵み豊かな海に漁師として我が子を送り出し、年老い、穏やかにどこにでもあるあたりまえの生涯を終えるはずだった。

 だが、少女は、漁師である父親が獲った人魚の肉をそれと知らずに食べてしまったことで、「不死」という逃れられない運命に囚われることになる。長い年を経ても老いず、いつまでも若狭の海のような美しさと輝きを保ったまま、少女は、死にゆき、朽ち果ててゆく、人とものの定めを哀しく見送り続けた。一人、時の流れから置き去りにされた少女の心だけが、疲れ果て、枯れていった....。

 少女は、自らの肉体の死をひたすら追い求め、諸国を行脚する。いつしか少女は比丘尼となって、死に行く定めの人々に、安らかな彼岸への引導を渡すようになる。

 自ら求めても得られない「死」、それを恐れ、逃れようとする人々は、不思議な比丘尼の言葉の響きの中に、永遠の生の哀しさを感じ取り、安らかに死出の旅へと向かう決心をつける。そして、比丘尼に感謝し、無数の死を看取った比丘尼に抱かれて旅立っていく。

 比丘尼となった少女は、八百年の後、めぐり巡って、生まれ故郷の若狭に辿り着く。そして、八百年前と変わらぬ自らの故郷の景色に、涙を流す。自分はこの景色の一部となろう....そう決心した比丘尼は、死を求めることを止め、心落ち着けて、懐かしき若狭の大地に身を横たえる。気がつけば、八百年を経た少女の体は風に飛ぶ砂と化し、澄み渡った魂が、愛する若狭の土地に同化し、あまねく広がっていった。

 人は、多くは不老不死を求める。しかし、それを実現したとき、人は果たして幸せなのか。八百比丘尼の伝説は、その一つの答えを示している。と同時に、魂を磨き、それを永遠のものとすることが錬金術や錬丹術の究極の目的であることが示唆されている。

 前回、熊野の話を紹介したが、じつは、熊野にも不老不死にまつわる伝説がある。

 かつて、熊野はこの世の果てに位置し、そこから見る海の彼方には永遠の生を約束する補陀洛浄土があるとされていた。そして、多くの僧が、補陀洛浄土を目指して海へ漕ぎ出していった。この拠点とされたのが、今でも残る補陀洛山寺だ。

 さらに、泰の始皇帝が不老不死の妙薬を探すために日本に使わした徐福が熊野を訪れ、ここで亡くなった、あるいは、ここからさらに補陀洛浄土へ渡っていったという伝説も残っている。

 補陀洛浄土があるという熊野の海の彼方を見たとき、ぼくは、自分の背後に続く一つのラインを意識した。近畿の五芒星を形作る五つの神社の一つ、熊野本宮大社から五芒星の中心を南北に貫き、飛鳥京、平城京、平安京、そして八百比丘尼の生地若狭を結ぶ東経135°46′40″(WGS84測地系)ライン。

 北の端では海から不老不死がやってきた八百比丘尼の伝説が残り、南の端では、海の彼方に不老不死がある補陀洛浄土の伝説がある。そして、じつは、若さにも徐福伝説が残されている。

 若狭と熊野、この二点を結ぶものはそれだけではない....。

  


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