2002.04.05 現代のレイライン


 今日アップした「小田急線直線路の謎」は、デジタルマップで、鹿島と富士山を結ぶラインを引き、そのライン上に何か面白いものはないかと辿って発見したもの。同じように、江戸の裏鬼門を封じる目黒不動と江戸城本丸跡を結んで、そのラインを辿っていくと、国会議事堂の中心、中央塔の先端が
そのラインに重なっているのを発見した(江戸=東京のレイライン「江戸の鬼門封じと五色不動」参照)。

 東京の新宿を基点として、小田原までの82.8kmを結ぶ小田急電鉄は、大正12年(1923)に創立、昭和2年(1927)に、小田原線(新宿〜小田原間)が開通している。下北沢−狛江間の9kmの直線路は、このとき敷設された線路だ。国会議事堂は大正9年1月に着工、昭和11年11月に完成している。ほぼ同時代のこれらの建物や鉄道が、明らかに風水的なラインやレイラインを利用するかのように建設されている。それは、いったい何を意味しているのだろう?

 平成4年(1992)、笠間稲荷で有名な茨城県笠間市に、壮大な大社建築の出雲大社常陸分社が創建された。その由来にはこうある。「鎮座されているこの福原の地は、日が沈み休まる国「日隅宮」と称される島根県・出雲大社から、大国主大神の第2御子神である建御名方大神が鎮まる長野県諏訪大社を通り、日が生まれる国・常陸国へと直線上で結ばれているご神縁の地である」(出雲大社常陸分社パンフレットより引用)。驚くべきことに、出雲大社と諏訪神社を結んだレイラインの延長上に創建されたと、はっきりうたわれているのだ。

 出雲大社は、ここを本拠とする「出雲大社教(いずものおおやしろきょう)」という独立した宗教組織を成している。出雲大社常陸分社は、その宗教組織に属している。そして、じつは、他にも出雲大社の分社が全国各地に存在している。常陸分社以外の主要な分社は、あからさまにレイラインと社の由来に言及しているところはない。しかし、それぞれの社を地図にプロットしてみると、面白い符合が、次々に明らかになってくる。

 神奈川県の秦野市にある出雲大社相模分祠は、出雲大社相模分院として明治21年に創建され、平成3年に分祠へと昇格した。この神社は、春分の日と秋分の日に上総一ノ宮玉前神社から出雲大社まで、たくさんの聖地が太陽の光で結ばれる「御来光の道」のちょうど上に位置している。明治九年(1876年)に四国松山に創建された出雲大社松山分祠はちょうど出雲大社から真南にあたる場所に位置している。他に、主要な分社とされる弘崎や福岡の分院を地図上にプロットして線で結んだのが、下の図だ。ことさらレイラインの知識を援用しなくても、いかにも、幾何学的にいみのありそうな位置関係ではないか。

 先にあげた大正から昭和初年にかけてのレイラインを意識したとしか思えない建築や土木工事、そしてこれも、明らかにレイラインを意識している明治から今現在も続く出雲大社の分社創建。そんな事実を見ると、レイラインを見つけ、それを利用するテクノロジーが、現代にまで密かに受け継がれているとしか思えない...。

 もちろん、レイラインハンティングでは、出雲大社分社の謎や、その他の現代のレイラインも取材し、紹介していくつもりだ。

出雲大社を要として、全国各地に創建されている分社や分祠。地図にあるのは、その代表的なものだが、こうして見ると、ただランダムに配置されているとは思えない

 

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