近畿の五芒星を巡る


■伊勢-------------------

 一昨年の夏至の日、ぼくは伊勢の二見ヶ浦にいた。ここで、夫婦岩の間から登る朝日を見届け、その太陽を追って、伊勢内宮から京都御所の北をかすめて、丹後の元伊勢まで走った。そして、元伊勢の御神体である日室岳の頂上にその太陽が沈むのを見届けた。

 大日神である天照大神がその力をもっとも強くする日。その太陽の運行線は、平安京創建の際に、もっとも強力な鬼門封じの結界として利用された。それを辿った時には、このラインが近畿に隠された五芒星の一辺を成していることに気づいていなかった。後にそれを知り、さらに、伊吹山と元伊勢を結ぶラインは御来光の道の一部であり、伊吹山と伊弉諾神社を結ぶラインは比叡山と京都御所を結ぶことを発見して、あらためてレイラインに秘められた事の複雑さに神妙になった。

 伊勢は、元伊勢の項で紹介したように、はじめ朝廷の中に祭られていた天照大神が外に祭りなおされることに決まってから、80年以上もさ迷って、ようやく今の場所に落ち着いた。それだけ長きに渡って聖地としての条件を吟味された土地だけに、誰でも心が和むような雰囲気を持っている(政治的な意味合いから別な感情を持つ人は別として……)。

 伊勢はいつも賑わっている。じつは、江戸期に大阪を中心とした銀本位制の経済に対して、江戸を中心とした金本位制の経済が優位になり、今でいう為替差益が大きくなったときに、伊勢参りはブームを迎える

 円高が海外旅行ブームを引き起こしたように、金が銀に対して非常に高騰して、西へ旅をすると安上がりで楽しめるということから、「猫も杓子もお伊勢さん」となった。日本最初の観光ブームといっていいかもしれない。このときできた伊勢参りの「構」が発展して、大手旅行会社が生み出されたのは有名な話しだ。

 どちらかといえば、伊勢参りそのものより、お参りした後の精進落としに松坂の遊郭を訪ねるのが旅の本当の目的だったようだが。そんなことも含めて、伊勢は一大聖地でありながら、もっとも物見遊山というか何も知らずにとりあえず著名だからと訪れる観光客ばかりの場所になっている。

 ぼくは、伊勢を訪ねると、内宮の本殿のお参りはそこそこにして、その裏手にある奥宮でゆっくりすることにしている。観光客の流れは、内宮の本殿からそのままもと来た宇治橋のほうへトンボ帰りしていく。ほんの一筋、道を分けて、せいぜい50mほど長く歩くだけなのだが、奥宮のほうへ行く人は皆無といっていい。

 この奥宮には、天照大神の荒御霊(あらみたま)が祭られている。普通、大きな神社では、本殿に和御霊(にぎみたま)が、奥宮に荒御霊が祭られている。和御霊は同じ神の穏やかな側面、荒御霊はその名の通り、荒々しい、祟りなす神の側面だ。

 神社の本質は荒御霊を祭る奥宮のほうにある。もともと神社は、自然に対する恐れ、畏敬から生まれたものだ。自然の力、土地に秘められた荒々しい、人には制御できない力。それに畏れを成した古代の人たちがなんとか宥め、共生しようと苦労した証しのようなもの。それが神社だとすれば、いまだに人に祟りを成すかもしれない無垢の自然を囲った奥宮こそ、その土地そのものだ

 伊勢の奥宮は、昼でも薄暗い鬱蒼とした森の中にあって、一人で向き合っていると、鳥肌が立ってくるほど峻厳な雰囲気を漂わせている。だけど、ここでしばらく向き合っていると、あるとき、フッと呪縛が解けたような気がして、身も心も楽になる。そんな瞬間、自分は跡形もなくなって、その場の空気そのものになってしまったように感じる。無化ともいえるような、そんな瞬間が好きだ。

 今回、旅の仕上げに、また奥宮を訪れて、そんな瞬間が訪れるのを待った。そして、その場の空気と同化したと思った瞬間、ぼくは、これまで辿ってきた五つの聖地に同時に存在していることを感じた。ある瞬間に、散在する複数の場所に同時に存在する。じつは、五芒星は、そのための装置なのかもしれない……


関連ページ―
●伊勢-元伊勢ライン
●夏至の結界
●若狭・不老不死伝説

<<前へ 

HOME






Copyright (c) 2002 Leyline Hunting Project. All rights reserved.