土地に秘められた陰陽の力

 夜が明けたばかりの東京は、初夏ながら空気が冷え冷えとしている。 旅立ちは、やはり朝がいい。それも、日が昇る直前の、夜と朝が拮抗する静寂の時間がいい。とくに、今回のように、聖地を巡る旅では、 この一日のうちでもっとも厳粛といえる時間に、一人静かに旅立つのが似合っている気がする……これも一つの巡礼なのだから。 

 まだ首都高を走る車もまばらで、快調に距離を稼いでいく。今回は、あらかじめデジタルマップから目的地の座標を拾い、GPSに入力した。 オートバイのタンクバックの中にある小型のGPSが目的地の方向と距離を表示するようにセットしてある。ガラガラのハイウェイをビッグバイクで疾走していくと 、その距離が面白いようにカウントダウンされていく。 

 ぼくは何故か幼い頃から、神社仏閣が好きだった。それは、歴史に興味があるからというわけではなく、 深い自然に抱かれたその森閑というか幽玄な雰囲気が好きだったのだ。そんな場所に秘められた大地の力をなんとなく感じていたのかもしれない。そんな子供だったせいか、昔から、日本のパワースポットと呼ばれるようなところを訪ねる旅をしたいと思っていた。

 一般に「神域」と呼ばれるような場所は、そこに特別な社が鎮座しているからというより、本来、その土地が持つ、 なんらかの「力」をそこに留める、あるいは封印するために、後に社が設けられた。昔から、そんな気がしてならなかった。

 高校に入ると同時に、ぼくは、山とオートバイに出会った、そして、あちこちを旅したり、山に登るようになった。そんな旅や登山の中で、 しばしば、土地が持つ力を感じた。言葉では言い表せない、直接、感覚に訴えかけてくるような、そんな「力」。それは、ときにエクスタシーとも呼べる快感を呼び起こし、 ときには総毛立つような恐怖をもたらすこともあった。そんな体験を通して、この世は、まさに陽と陰で成り立ち、陰もまた必要不可欠なものなのだと実感したものだ。

 今まで、いろいろなところを旅し、いろいろなアドヴェンチャーに挑戦してきた。そして、今、デジタルマップというツールを得て、 ぼくが幼い頃からイメージしていたパワースポットを結ぶ旅が現実のものになろうとしている。その出発点は、図らずも、 幼い頃から馴染みのある「鹿島神宮」という神域を中心とするものだった。

 ずっと気になっていたことの意味が、あるとき突然はっきりすることがある。ものごとを理解するということは、数学の問題を解くように、 解法のプロセスを辿りながら少しずつわかっていくのではないと思う。少なくとも、ぼくにとってのそれは、ずっと得体も知れずわだかまっていたものが、ある日突然、 「 なんだ、そんなことだったのか」という閃きを経験することだ。キリスト教では、そういう経験をエピファニー=顕現という。 神が突如目の前に現れて、意味の全体を丸ごともたらすということだ。 なつかしい神域に向かって、距離を縮めていきながら、土地の持つ力が急速に増して行くのを感じていた。 そして、これから始まる「レイラインハンティング」という新しい旅が、ぼくを大きく変えてくれそうな予感も強くなっていった。  


早朝の香取神宮。キンと引き締まった朝の空気が気持ちいい

 

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