和御霊(にぎみたま)と荒御霊(あらみたま)

 京葉道路、東関東自動車道と順調に乗り継いでいく。東関東道が空港線と分かれるあたりまでは、早朝のフライトにチェックインするらしいハイペースな車がけっこうある。 だが、空港線と道を分けて、潮来、鹿島方面に入ると、周囲は新緑の林と、田植えを終えたばかりの田んぼが長閑に広がっているばかりだ。まもなく、佐原香取ICに到着。

 ここで一般道に降りる。 まだ6時を少し過ぎたばかりで、下の道の通りも少ない。佐原市街に向かって県道を進む。しばらく行くと、右手に赤い香取神宮の鳥居が見える。そのまま駐車場に入り、バイクを鳥居の下に停める。参道の両側にある売店も、まだ寝静まっているようだ。 林の上辺に朝日が差し掛かり、それに鳥たちが起こされたようで、少しずつ賑やかになってくる。

 まずは、大鳥居を潜り、両側に常夜灯の並ぶ参道を行く。涼しい風が渡ってくる。聞こえるのは、鳥の声と、踏みしめる玉砂利の音だけ。 お参りは、やはり厳粛な気持ちになれる早朝がいい。 香取神宮のある香取の山はかなり広いが、本殿を囲む境内は、わりにこじんまりしている。南南西を向いた神門を潜り本殿を拝する。剣道や柔道などの道場では、 床の間に神棚を祭り、その両側に「鹿島大神宮」、「香取大神宮」と書かれた軸が下げられていることが多い。それは、この両社が武神を祭っているからだ。

  香取神宮の祭神「経津主神」は、鎮魂の儀式である「御霊振り(ミタマフリ)」で用いられる破邪の剣「布都御魂剣」が神格化したものであるといわれる。 邪悪なものを破る強力な霊剣を祭ることから、武術の神様として、古くから崇められてきたのだ。両社を源流とする武術も多数あり、 香取神宮発祥としては飯篠長威斎家直を創始とする天真正伝香取神道流剣術が知られている。 

 武術の神だけあって、装飾の少ない、落ち着いた佇まいの本殿だ。本殿の周りには、末社や兄弟社が祭られている。本殿の北東には、 鹿島神宮を祭る社がある。その位置は、まさに香取神宮と鹿島神宮を結ぶラインの上になっている。

  じつは、香取神宮の本殿に祭られているのは、経津主神の和御霊(にぎみたま)で、和御霊と対になる荒御霊は、 南西に300mほど離れた森の中にある奥の宮に祭られている。  森閑とした林の中、小さな鳥居を潜って、奥の宮への参道に入る。幅一間ほどの参道は、両側に生垣のように木立が並び、 真ん中に敷石がある。絶えず人が心を込めて掃き清めているようで、塵一つない地面には新しい箒跡がついている。その回廊のような参道を20mほど辿った先に、 小さな社が祀られている。

  その門はしっかりと閉ざされ、いっそう厳粛な雰囲気を漂わせている。その閉ざされた門の片隅に、誰が供えたのか、みかんと地酒「香取」の一升瓶が置かれている。

  この奥の宮は林の中で、そこだけ雰囲気が違う。おおらかな雰囲気に包まれた本殿とは対照的に、荒ぶる魂が、誰にも邪魔されず、静かに気を休めているような、 厳粛な緊張感がある。参る者の心構え、姿勢が悪ければ、逆に災いでもありそうな雰囲気に包まれている。他の社では、丁重に礼をして社殿を写真に収めたが、 どうしても、この社にはカメラを向けることができなかった。ちなみに、現在の奥の宮の社殿は、昭和48年に行われた伊勢神宮遷宮の際の古材によって建て直されたもので、 周囲を深い森に囲まれたその佇まいは、伊勢の杜を連想させる。

  厳しい雰囲気に包まれているものの、奥の宮は、「心願成就」に霊験あらたかと伝えられている。人でも、厳しい人にかぎって人情に篤いように、荒ぶる魂の奥の宮は、 礼を尽くす人に対しては篤く答えてくれるのかもしれない。ぼくは、何かを願うことはせず、ただ、 厳粛なこの場の雰囲気にシンクロさせるように自分の気持ちを合わせていた。すると、知らぬうちに、全身に鳥肌が立っていた...。

 南を向く香取神宮の神門。置くに経津主神の和御魂を祭る本殿がある

 

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