日本三霊水の一つ「忍潮井(おしおい)」

 本殿へのお参りを済ませてから、そのまま大鳥居をくぐり、一の鳥居へと向かう。この鳥居は少し変わっている。というのも、真ん中に大きな鳥居があり、 その左右に小さな鳥居が並んでいるのだ。しかも、その左右の鳥居は、大きさが異なる。正面から拝むと、なんだかアンバランスな配置だ。

  じつは、左右の鳥居は大きいほうが男鳥居で小さいほうが女鳥居になっていて、それぞれの根元からは水が湧き出しているのだ。この湧水は、 「忍潮井(忍塩井)=おしおい」と呼ばれ、伊勢の明星井、伏見の直井とともに日本三霊水に数えられている。

  このあたりは、海に近く、海水が混じった汽水域になっているが、忍潮井は、その汽水の中にあって真水が湧き出している。 遠い神代の頃からそれはあり、左右の鳥居の下、水中深くに女瓶男瓶が据えられていて、その中から湧き出しているという。男瓶は銚子の形をしていて、 女瓶は土器の形だというが、いずれの井戸を覗き込んでも、瓶らしきものは見えなかった。それは、年に幾度か、 とびきり天気のいい水の澄んだ日にしか姿を現さないということだ。でも、この日も水は澄み切って、井戸の底まで見えたのだが...。

  鹿島と香取の要石が、そこに社が造営される前からの自然信仰の対象物だったとするなら、この忍潮井こそ、息栖神社造営前からここにあって、 太古の人々に崇められていたものではないだろうか。

  この一の鳥居の前は、小さな港になっており、今でも船が係留されている。かつて、このあたりは広大な内海で、 「香取の海」と呼ばれた。この港は、おきす津(港)と呼ばれて、周辺の陸地と結ぶ船着場として賑わっていた。その往時を忍ばせる歌も残っている。
  大船の香取の海に碇おろし いかなる人か物おもわざらむ(柿本人磨)
  今よりはぬさとりまつる船人の 香取の沖に風向うなり(藤原家隆)
  今はひっそりと落ち着いているこの土地も、1000年の昔には、京にも知られた土地だった。その頃は、まだ江戸は人跡未踏の荒野だったに違いない。

  ちなみに、本殿から参道を真っ直ぐたどり一の鳥居と結ぶ線をそのまま伸ばしていくと、利根川の向こうにある熊野神社に行き当たる。熊野神社といえば、 こちらは神武東征に縁の深い神社だ。こういう配置を見ると、大和朝廷の東国支配の仕掛けがなんとなく浮かび上がってくるように思える。

 

息栖神社の参道を反対に西に向かうと、港を見下ろすように一の鳥居がある。そして、その両脇に日本三霊水のひとつ、「忍潮井」がある

 

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