鹿島を中心とした壮大なレイライン

 東国三社の要ともいえる鹿島神宮からは、三社を結ぶトライアングル以外に、様々なレイラインを引くことができる。

 古事記では、天照大神の命を受けた建御雷神(武甕槌神)と天鳥船神が出雲の国の大国主命のもとに天降り、「豊葦原の中つ国」を献上するように求めた。大国主命と第一王子八重事代主神はそれに応じたが、気性の荒い第二王子建御名方神は反対し、建御雷神と力比べで決することになった。この力比べで建御名方神は諏訪まで逃れたとされる。

 諏訪といえば、これも由緒ある古社である諏訪大社があるが、この上社の祭神が建御名方神であり、この社はほぼ正確に鹿島神宮の西に位置しているのだ。ちなみに、鹿島神宮の本殿の座標は北緯35°57′56″、東経140°38′05″。諏訪大社の上社本宮は、北緯35°59′40″、東経138°07′20″。両社は、南北方向でちょうど3000mずれているだけなのだ。両社は直線距離で223km離れている。それで3kmのズレしかないのだ。このラインは、春分と秋分の日の朝日が射す方角であり、諏訪大社から見ると、この両日は、ちょうど鹿島神宮の方角から日が昇り、それを拝むことになるわけだ。

 さらに鹿島神宮から冬至の入日の方角には、富士山がある。富士山と鹿島神宮を結ぶ線上には、皇居と明治神宮がある。また、夏至の入日の方角には筑波山があり、筑波山と鹿島神宮を結ぶ線上には、かつて、常陸国府があった。

 こうしてみると、鹿島神宮は太古の太陽崇拝の要としての機能を果たしていたようでもある。

鹿島神宮から右上に伸びている青い線は、鹿島と香取を結ぶ線の延長で、冬至の日の出の方向に当たり、海に当たる明石浜には、鹿島神宮の一の鳥居がある。 鹿島神宮から左下に伸びる三本の線は、上からそれぞれ春日大社、富士山、伊勢神宮を結んだもの。富士山は、冬至の時の入日の方向にあたり、この線上には、皇居と明治神宮がある。左上に伸びる線は、常陸総社を結ぶ線で、ほぼ夏至の入日の方向。下に伸びるブルーのラインは、上総一の宮の玉前神社を結ぶ線(これには、今のところ有意性ははっきりしない)

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