大地に秘められたモノそして大日霊貴神社 

 釜石環状列石(といってもレプリカだが)を見学した後、そのままアスピーテラインを八幡平のほうへ登って行く。姫神山と黒又山を結ぶレイラインは東の安代のほうを通っているが、そちらのほうは、馴染みのある土地で、何もない高原が続くだけなので、今回は八幡平から秋田県側に抜けて北上するルートを取ることにする。

 今年の夏は、北東北にずっと前線が居座り、盛岡以北は一ヶ月以上雨が続いているという。この日も、麓は晴れているのに、八幡平へ向かって高度を上げていくにしたがって、天気が悪くなっていく。八幡平一帯は、まさに地球が息づいていることを実感させる場所だ。沿道のそこここから立ち上る水蒸気、硫黄の匂い、マグマのように泥が沸騰する温泉......そして、寒冷前線に乗って西から次々に押し寄せる雲が、視界を閉ざし、人間など簡単に吹き飛ばそうとする。

 いかにもワイルドな地球の鼓動に晒されると、地球が生きているという確かな実感を持つと同時に、こうした誰の目にも明らかな「場所の特性」があるのだから、普段は可視化できない場所が持つ「力」があるのが自然だと思わされる。釜石ストーンサークルが盛んに火山活動を続ける岩手山を「神」と仰いだ太古の人たちの祭壇だったように、別な場所では、こんなに荒々しくない、密やかな地球の生命活動を人々が関知して、それを時には崇め、火山活動がもたらす温泉のように、そこから湧き上がる「何か」を自分の健康を回復したり、あるいはメンタルな活性を得るために利用したのではないか、それがパワースポットやレイラインといわれるようなものなのではないか....そんなふうに思えてくる。

 八幡平周辺には、昔から湯治場として愛されてきた温泉がたくさんある。いずれも強酸性のいわゆる火山泉で、たとえば鋼の包丁を一晩で溶かしてしまうような強力なものだが、その温泉に浸かって療養することで、医者が見離した難病が完治した例も多いという。それは、人が地球と一体となった命を持っていることの証明であり、人が生命のバランスを欠いたときに、地球の息吹に触れることでそれを取り戻すことを物語っている。それなら、他にも、温泉と同じような「効能」を持つ場所があって当然ではないだろうか。

 八幡平を秋田県側に抜け、大湯へ向かって北上していくと、途中に大日霊貴(おおひるめむち)神社がある。地元では「大日さん」と親しまれているこの神社は、だんぶり長者の善行を後世に伝えようと、今から1500年前、継体天皇の時代に創建されたと伝えられている。

 昔々、小豆沢というところに住んでいた貧しい夫婦が、畑仕事を一休みして昼寝をしていると、一匹のトンボ(だんぶり)が飛んできて、唇の上にとまった。その尻尾には甘い酒がついていて、その美味しさに思わず目を覚ました二人は、飛び立っただんぶりを追いかけた。すると、そのだんぶりが飛んでいった方向に泉があった。その泉の水を飲んでみると、先ほど一滴だけ味わったこの世のものとは思えない酒だった。だんぶりに導かれて酒の泉をみつけた二人は、その酒を汲んで商いをして、おおいに潤った。それが、「だんぶり長者」の話だ。

 それは、大地がもたらしてくれる資源を見つけ、富を成したことをそのままストレートに伝えたもので、この周辺に何か貴重な地下資源が埋蔵されていることを暗示している話のようにも思える。この神社は、はじめ、「大日示現社」と名づけられたが、大日つまり天照大神がこの地に示現したという意味だ。その後、いったん荒廃を見るが、200年後の元正天皇の時代に再建される。このとき、天皇はわざわざ都から東大寺大仏建立に貢献した僧、行基を下向させた。そのとき随行した工匠・音楽師等が、里人に舞楽を伝授し、それが大日堂舞楽として現代まで伝わっている。

 都から見ればまさに僻遠の地に、当時随一の僧侶を派遣して建立させたということは、それだけ、この神社が重要であったことを物語っている。仏と神を同一の概念とみなす本地垂迹説を取り、真言宗と関係の深い両部神道。行基によって建立法要が営まれた大日霊貴神社は、その両部神道生粋の神社だ。

 真言宗といえば、その改組である空海は、陰陽道や中国固有の錬金術である「練丹術」に通じていたことでも知られる。高野山のある紀伊半島や四国の山奥に練丹術に必要な「丹=水銀」を探して歩いた空海、いっぽう、地下資源を掘り当てたことを連想させる「だんぶり長者」、この符合が意味するものは、いったい何だろう。

 この神社には陰陽道と関係の深い両部神道ならではの「形代」の儀式が伝わっている。人の形に切り抜いた紙に自分の生年月日と氏名を書き、息を三回吹きかける。そして本殿の手前にある茅の輪を潜って形代を奉納するというものだ。この形を見て、陰陽師安倍晴明が式神を使うのに、同じような形代を用いていることを連想する人も多いだろう。

 ここでは、茅の輪潜りの作法が少し変わっている。茅を編んで輪にした茅の輪を潜って魔除けとするのは、年越しの祓いや夏越祓で良く見られるが、ほとんどは、一度この輪の中を潜るだけだ。ところが、ここでは、左足から潜り左回りに戻り、今度は右足から潜り右回り、さらにもう一度左足から潜って形代を納める形をとる。古代から続くシャーマニズムや陰陽道では、自分に取りつこうとする「魔」を巻くために、北斗七星の形に歩む「兎歩」や算用数字の八を横にした「無限」を表す形に歩む作法がある。兎歩は天体でもっとも力の強い北斗七星と北極星の力を体現する。「無限」の形を描く歩き方は、途切れのないメビウスの輪のようなその形の中に、「魔」を永遠に閉じ込めようとするものだ。

 だが、この大日霊貴神社にまつわる興味深い事実はまだ尽きない。じつは、この神社は、今回の取材のキーポイントである大湯ストーンサークルから、正確に南に位置しているのだ。

大日霊貴神社の座標は
 N40°08′28.5″
 E140°48′33.3″
大湯ストーンサークルの中心部の座標は
 N40°16′07.2″
 E140°48′25.2″
経度を見ると8.1秒のズレしかない。
これはほとんどGPSの誤差の範囲内だ。
距離は、直線で14.3km。
写真は、大日堂に向かって正面に立ち、大湯ストーンサークルをナビモードの目標地点に設定したGPS。
あたりまえだが、矢印は完璧に北を指している

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