黒又山をとりまくもの、十和田神社の秘密 

 大湯から新郷村の大石神ピラミッドへ向かう前に、黒又山に登ってみることにした。標高280mの頂上には本宮神社があって、そこまで登ることができる。麓にある鳥居を潜り、鬱蒼とした樹林の急登を汗すること15分あまりで頂上に出る。そこも樹林の中で、昼でも暗く、展望はきかない。

 ただ何の飾りもない小さな社があるだけで、ここがピラミッドだと思わせるようなものはない。地質探査でわかったという頂上の石組みも、木が根を張ったその下のことらしく露頭もない。20年近く前に社が改築されたが、前の社は、目前に露出した石組みがあったとのこと。だが、それは改築によって崩されてしまったのか、今ではその痕跡もない。

 遠望するとどこから見てもきれいな円錐形をしているこの山も、登ってしまうと、田舎の集落の外れにあるありふれた鎮守の森といった佇まいだ。だが、そこにいると落ち着かない気分にさせる雰囲気が漂っている。この日は時おり雨のぱらつくどんよりとした天気だったこともあるが、鳥や虫の声もなく、水の底にいるように静まりかえっていた。ただ静かなだけならいいのだが、耳に聞こえないが体では感じられるような種類の高周波ハウリングとでもいおうか、耳の奥で微かにトランスがうなりをあげているようなそんな感覚がある。

 ちょうど、これと同じような感覚をいくつかの場所で感じたことがある。それは荒御霊をまつる社であったり、同じようにピラミッド伝説のある山の頂上の祠であったりした。そのうちの一つ、長野県にある皆神山は顕著な重力異常が頂上部で観測されたというが、重力あるいは電磁波の異常といったものが三半規管あたりに影響を与えているのかもしれない。ぼくが、何かを感じながら、それをはっきり言い表すことができない、そんなものを、昔の人たちは現代人よりもはるかに敏感なセンサー、「身体」に感じ、その利用方法を知っていたのかもしれない。

 この黒又山も長野の皆神山も、山全体が薄ぼんやりと光る発光現象や、その上空に光る物体が浮かんでいるのを目撃されることがあるという。一説には、ぼくが今辿っているようなピラミッドを結ぶレイラインは、そのラインが発光して、道しるべとなっていたといった話もある。だとしたら、いったい誰のための道しるべなのだろう。大地に光の線を描くというと、航空機が視認するための標識を連想するが....。今は聖地を結ぶ位置関係に焦点を当てて、デジタルマップとGPSを使って調べているが、いずれ電磁波や重力なども観測できるような装置を使って調べなおしてみようと思っている。

 大湯から迷ヶ平(まよいがたい)へ直接抜けるルートもあるが、道の様子がわからないので、いったん十和田湖畔に出て、湖を回りこむルートを取った。十和田湖といえば、高村光太郎作の乙女の像が有名だが、その背後の森には、坂上田村麻呂が創建したと伝えられる十和田神社がある。

 9世紀初頭に桓武天皇から蝦夷征伐を命じられた坂上田村麻呂は、北へと侵攻しながら、東北各地に拠点を築いていく。十和田神社はその一つで、ここで最終的な戦勝を祈願したという。桓武天皇といえば、「伊勢・元伊勢ライン」でも触れたように、風水や陰陽道についての造詣が深く、平安京に代表されるように、風水や呪術を駆使して都市計画や戦略を立てる人物だった。その桓武天皇の命を受けた坂上田村麻呂も風水や陰陽道の専門家と考えても不自然ではない。

 今回の特集の冒頭で紹介したように、十和田湖は、大湯ストーンサークル−黒又山−大石神ピラミッド−三内丸山遺跡という縄文に遡る遺跡を結んだ直角三角形のちょうど真中に位置している。さらにその要ともいえる部分に、坂上田村麻呂は戦勝祈願の神社を創建した。それは、土地を守る結界であった太古のレイラインに楔を打ち込むことで無力化してしまったようにも見える。ちなみに、今年の東北は、坂上田村麻呂に最後まで対抗した東北蝦夷の指導者「アテルイ」没後1200年を記念する催しがあちこちで行われていた。案外、アテルイが破れた最大の原因は、坂上田村麻呂との呪術合戦に破れたところにあるのかもしれない。

 

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