竹内文書と大石神ピラミッド 

 十和田湖を周遊する国道を南岸から東岸のほうへ回りこんでいくと、目指す新郷村へ向かう分岐が現われる。ここには、堂々と「キリストの墓方面」という標識が掲げられている。

 昭和10年、茨城県の磯原(現北茨城市)の皇祖皇大神宮の神主であった竹内巨麿が、代々受け継がれてきた神代文字で書かれた文書を公開した。それが日本三大奇書の一つとされる「竹内文書」だった。そこには、天地開闢の歴史が綴られ、アトランティス大陸やムー大陸を連想させる「失われた大陸」についての記述があり、皇祖皇大神宮は、元は富山にあったが、その場所は太古世界の中心であり、モーゼ、キリスト、マホメット、釈迦、孔子といった聖人がみなその世界の中心目指してやってきたと書かれていた。

 竹内巨麿は、当時絶対だった皇国史観を冒涜する文書を発表したとして、不敬罪に問われ、投獄される。それで、竹内文書に関わる事件は終わったかに見えたが、じつは始まりにすぎなかった。竹内文書の内容に注目した考古学者山根キクが、キリスト終焉の地についての記述を元に東北各地を調査したところ、竹内文書の記述に良く似た場所を発見してしまう。それが戸来村、現在の新郷村だった。

 戸来はヘブライに通じ、子供を初めて野外に出すときに墨で額に十字を書く風習や、代々続く庄屋がダビデの星に良く似た図形を家紋とすることなどもキリストに関わる証拠とされた。

 現在、そのダビデの星を家紋とする庄屋の墓所の脇に、十字架を掲げた大きな二つの土饅頭があり、これがキリストと弟イスキリの墓とされている。竹内文書の記述が信憑性が究めて低いのと同時に、証拠とされるものも牽強付会の印象は拭えない。

 ところが、戸来にまつわる話がそれだけで終わらないのが、さらに不思議なところ。竹内文書の研究者でもあり、ピラミッドの研究家でもあった酒井勝軍は、この戸来村の郊外にあった巨石遺構を古代日本のピラミッドだと主張する。

 酒井勝軍は明治時代にアメリカへ渡って牧師となって帰国し、さらに神道に改宗。昭和初年に陸軍情報部嘱託としてエジプトにピラミッドの調査に赴いたという異色の人。帰国して日本にも古代ピラミッドがあると確信して調査を始めたが、それはエジプトで古代エジプトから営々と受け継がれてきた秘儀参入のイニシエーションを受けたのがきっかけではないかなどと噂された。日本のインディ・ジョーンズともいえるような酒井勝軍がその巨石遺構を大石神ピラミッドと名づけ、さらに戸来と十和田湖の間にある十和利山も古代ピラミッドであると紹介した。キリストの墓とともにピラミッドがいくつも存在する神秘の土地として戸来は喧伝された。

 キリストにまつわる話は眉唾としても、戸来の神秘性が薄くなるわけではない。逆に、それまで埋もれていたこの土地が、竹内文書に記されたキリスト伝説で一躍脚光を浴びることになった背景には、聖地の自己主張というか、この土地が再び注目される必要があって、スピリチュアルなものをことごとくひきつけようとしたのではないかといった気もする。今回、ぼくが大湯とこの土地を結びつけるレイラインを見つけ出したのも、じつは、この土地の持つ力によるものではないだろうか....。いささかオカルトめいて聞こえるかもしれないが、レイラインを巡っていると、土地の息吹とともに、「土地の意思」といったものを漠然と感じさせられることが多い。そして、土地どうしのネットワークがあり、その一ヶ所ででも感応を味わうと、そのネットワークを辿ってみたくなる。あたかも、自分がネットワークを繋ぐシナプスで、ポイントとなる土地を活性化する信号を伝達することを運命づけられているかのように...。

 大石神ピラミッドは、「キリストの墓」から南西へ5kmあまりの山中にある。比較的通行量のありそうな踏み固められた林道を少し行くと、突然、曲がり角に赤い鳥居が現れる。その横には、大石神ピラミッドの由来が書かれた看板が掲げられている。そこには、「日本には、エジプトより古い数万年前建造のピラミッドが七つあり、この大石神ピラミッドがその一つである」と記されている。鳥居を潜ると、人の背丈の倍ほどの高さの岩が林立している。太陽崇拝の象徴といわれる「太陽石」、主要な星座を刻印したといわれる「星座石」、東西方向に割れ目が走る「方位石」、かつては表面に文字が刻まれていたが安政四年の地震で倒れ、文字が読めなくなったという「鏡石」などがある。

 一見すると、単に岩の多い山で、斜面が雨に洗われるなどして、そこだけ大きく露出したもののようだが、地質学的に見ると、これらの岩は、この土地の地質とは異なり、日本海沿岸の地方から運ばれてきた形跡があるという。だとすると、いったい、いつ、誰が、何の目的で、どのようにしてこんな岩を長距離移動させたのかが、大きな謎として立ちはだかってくる。

 大湯ストーンサークルとクロマンタ、そして大石神ピラミッドの位置関係、陰陽道と地下資源の存在を連想させる神話、坂上田村麻呂が十和田神社にこめた意図、そして竹内文書との関わり...この北東北レイラインには、様々な要素が絡み合ってくる。

 大石神ピラミッドから、さらに500mほど林道を進み、藪に覆われた急傾斜の径を登ること20分。上大石神ピラミッドのピークに出る。ここは、大石神ピラミッドのような人工的に立てられたように見える岩が並んでいるのではなく、山頂部に巨大な花崗岩が露出しているだけだが、その岩は上部が平らになっていて、周囲の山並みを睥睨しているような存在感があって、自然に「磐座」を連想させる。普段なら、その岩の上に立って景色を楽しむところなのだが、その上に上るには気が引ける。

 ここで周辺のポイントとの位置関係をGPSで確かめようとしたのだが、どうしたわけか、電源を入れると、立ち上がりかけて途中でエラーになってしまう。衛星電波を正しく拾ってはいるのだが、位置確認ができて、それを表示しようというところで画面が消えてしまうのだ。そこで電源が落ちるのではなく、液晶表示ができなくなるのだ。ずっと強い雨の中をオートバイのハンドルにマウントしたまま走ってきて、今度は首からぶら下げて大きな振動を与えるなどラフに扱ってきたので基盤に浸水してリークしたのかと思ったが、不思議なことに、この山頂を後にして林道上でもういちどスイッチを入れると、今度は何事もなく作動した。結局、GPSの作動不良は、上大石神ピラミッドにいる間だけの現象だった。 

 

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