不老不死が繋ぐもの

■若狭からの誘い■

 近畿に点在する五つの聖地、「伊吹山」、「元伊勢」、「淡路伊弉諾神社」、「熊野本宮」、「伊勢神宮」を結ぶ正五角形と、それに内接する五芒星を巡る旅の最後に訪れた熊野で、ぼくは、この五芒星を貫くラインを夢想した。

 そして、このラインの中で、まだ実地に調べていない若狭周辺を次の目的地に定めた。

 若狭には何度か訪れたことがある。リアス式海岸と透き通った海、そして緩やかな起伏を描く山襞が続く内陸といった風景に、伊勢や出雲と共通する穏やかな「聖地」の雰囲気を感じていた。

 熊野から戻り、若狭のことを調べ始めたとき、その若狭にある宿のご主人から連絡をいただいた。

 ぼくが主催しているもう一つのアウトドアベーシックテクニックというサイトを見て、地元若狭でのアウトドアアクティビティについてアドバイスをしてほしい。ついては、若狭に来て、その環境をじっくりと見てほしいとのこと。

 三方町の「湖上館PAMCO」の館主、田辺さんとは過去に面識があったわけではなく、別な知人からの紹介というわけでもない。彼は、インターネットを渉猟していて、たまたまぼくのサイトに出会い、関心を持ったのだった。

 ちょうど、ぼくが若狭をイメージしていたところに、件の若狭から連絡が入る。しかもそれが、直接レイラインとは関係のないところから縁が繋がったことに、ぼくは深い因縁を感じた。そして、今度は、間違いなく若狭という土地に呼ばれていると確信した。

 そんな経緯で、ぼくは若狭を訪ねることになった。

 

■空海と徐福■

 その若狭と熊野がレイラインで結ばれることは先に紹介した。左の図は、前のページで示した東経135°46′40″ラインの詳細図だ。このライン上に近接する主要なポイントを眺めただけでも、ここに深い意味が隠されていることは明らかだ。

 まず、南の熊野本宮大社から出発して、はじめのうちは空白地帯になっているが、ここは、紀伊半島を埋める果無山脈の中央部で、吉野から熊野へ抜ける大峰修験の修行ルートが走っている。

 修験道は、厳しい修行を通じて、神仙世界の境地に達することを目的とする。陰陽道やある中国の錬丹術(神仙術)と根を同じくするもので、まさに不老不死を求める思想、体系といえる。

 泰の始皇帝の命を受けた徐福は、錬丹術の専門家だった。日本には錬丹術、修験道、陰陽道すべてに通じた一人の天才がいた。真言密教の開祖、弘法大師空海。

 その空海も、このラインの中に見え隠れしている。

 吉野の近くには丹生川神社があるが、高野山からこの吉野のあたりは不老不死の妙薬の原料となる「丹」、水銀の鉱脈があり、やはり不老不死を求めていた空海は、この地に目をつけた。そして、その中心である高野山を丹生津姫命から借用するとして手に入れ、真言密教の中心地とする。

 錬丹術の「丹」はまさに水銀のことで、徐福も良質な水銀産地を探し求めていた。

 大峰修験では、過酷な修行の間、病から身を守り、疲れを忘れさせる妙薬として「ダラニスケ」という生薬が修験者の間で用いられてきた。それが、まさにこの地で産出する丹=水銀を用いていた(現在売られているダラニスケには水銀は使われていない)。

 空海は高野山奥の院に入定したと伝えられるが、一説には、長年用いつづけた水銀のために、その中毒が直接の死因になったともいう。

 高野山に匹敵する水銀鉱脈は若狭にもある。そして、ここにも徐福と空海の足跡が残されている。

 若狭湾の西、丹後半島にある伊根は、海に突き出して、そのまま舟を一階に引き入れる構造にした舟屋が並ぶ風景で有名なところだが、ここに徐福が上陸したという言い伝えが残っている。

 丹後の「丹」、その南の丹波の「丹」、さらには、空海にも縁の深い東大寺の二月堂には「お水取り」という儀式が伝わっているが、「若狭井」が汲み上げられるその水は、若狭の「遠敷(おにゅう)」にある鵜の瀬から送られる水とされる。お水取りの儀式に先立って、ここでは「お水送り」が行われる。

 遠敷の「にゅう」は、「丹生=にゅう」に通じている。

 大地に流れる「気」の力をコントロールし、宇宙との照応(correspondence)を大地に描き出すことによって永遠の命や永遠の繁栄を実現する。レイラインや風水は、そのための工学(テクノロジー)ともいえる。これに錬丹術のような化学を組み合わされれば、不老不死により近づくと、修験者や陰陽師は考えただろう。

 この東経135°46′40″ラインに、明日香から平安にかけての都や天皇陵が並ぶ意味が、はっきりと浮かび上がってくる。

 さらに興味深いのは、明治天皇陵、平安神宮、天理教本部、同志社大学のように、近代に創建、創立された施設もこのラインを意識しているように見えることだ。

 小田急直線路の謎でも触れたが、戦前までは、明らかにレイライン的知識が、都市計画や大規模建設、そして宗教の世界で重要な要素として用いられていた。これらの例は、そのことを証明している。 


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