近畿の五芒星を巡る


■伊吹山-------------------

 ぼくは、レイラインを巡る旅の相棒としてBMWR1150GSというオートバイを使っている。こいつは、アウトバーンを200km/hで巡航できる高速安定性と、オフロードを駆け抜ける走破性を兼ね備えている。

 長距離をスピーディにしかも快適に移動し、目的地では、タフな走破性とオートバイならではの機動性を生かして、縦横無尽に走り回ることができる。近畿の五芒星を巡る今回の旅では、東京を出発して五芒星を巡り、帰還するまで3000kmあまりの長旅になる。これをなんのストレスもなくこなせるのは、この相棒ならではといえる。

 2003年8月、茹だるような暑さの東京を出発する。名神高速を関ヶ原ICで降り、伊吹山ドライブウェイを駆け上っていくと、麓の朦朧とするような暑さが嘘のように涼しくなってくる。

 オートバイで流すには最適なワインディングロードだが、ちょうど夏休み中ということもあって、観光バスが数珠繋がりになって、その後ろにおとなしくついて行くしかない。

 頂上直下の駐車場にGSを止めて、登山道を歩き出す。登山ルートは東、中央、西の三本ある。東ルートは山腹を琵琶湖側に巻いてずっと眺望が開け、中央ルートは最短の直登、西ルートは下山専用となっている。ぼくは中央ルートを辿ることにする。

 じつは、出発の前の週に夏風邪をひいてしまい、前夜まで熱が39℃近くあった。一晩寝ると、熱は下がっていたので、今朝は、だるい体を引きずるようにしてGSに跨った。

 風になびく高山植物を眺めたりしながら、ゆっくり登って行くと、20分ほどで山頂に立つことができた。滝のように汗をかいたが、それでほんとうにすっきりして、風邪も完全に吹き飛んだ。

 本来なら、今回のように病み上がりの体ではオートバイツーリングなどもってのほかのところだが、何故か、高熱の朦朧とした意識の中で、なんなとしても行かなければという思いばかりが浮かび上がってきた。そして、出発してしまえば、体調は良くなるという不思議な確信があった。実際、聖地を訪れると、それまでの不調が嘘のように消えてしまう。

 聖地を訪ねると単純に「気持ちがいい」。そんな感覚がはっきり感じられるから、聖地は人をひきつけるのかもしれない。この日も傾斜の緩い東ルートは鈴なりの観光客で、頂上も、ここは原宿かと錯覚するほどごった返していたが、普段ならとても山歩きなどおぼつかないような年寄りが、なにかに憑かれたように頂上を目指すのは、ただ雄大な琵琶湖の眺望が見たいからとか、ツアーの他の客が登っているのに、自分だけがバスで留守番しているのはつまらないからというだけではないだろう。

 その伊吹山の頂上には日本武尊の像が安置されている

 日本武尊は伊勢にいる叔母の倭比売命(ヤマトヒメノミコト)から草薙剣を与えられ、これで熊襲を打ち、後に東国を平定したと伝えられる。その勢いを駆って、伊吹山を支配していた神の平定に向かう。

 だが、その際、何故か、日本武尊は草薙剣を持たなかった。それが仇となった。巨大な白猪に姿を変えた伊吹山の神の毒気に当てられた日本武尊は瀕死の状態に陥る。そして、伊勢を目指して下る途中に、能褒野(のぼの=今の亀山市能褒野)の里で、ついに絶命する。……そんな神話が伝わっている。

 大和武尊ゆかりの伊勢と伊吹山を結ぶライン上には、伊吹神社があり、能褒野がある。山頂の大和武尊像は、南南西の方角を向いているが、これは、熊野本宮をまっすぐ見つめ、まさに五芒星の一辺を指し示している

 伊吹山と淡路の伊弉諾神社を結ぶライン上には、比叡山京都御所が位置する。そして、真西には、琵琶湖の中に浮かぶ竹生島があり、その先は元伊勢に到達する。

 この日は、晴れてはいたものの、山頂には生憎薄くガスがかかって見通しがきかなかった。だが、大和武尊の視線を追うと、そのはるか彼方で感応している聖地の息吹がたしかに感じられた。

―関連ページ―
●伊勢-元伊勢ライン
●夏至の結界
●若狭・不老不死伝説

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