近畿の五芒星を巡る


■元伊勢-------------------

 真夏の名神高速を京都方面に辿っていくのは苦痛以外のなにものでもない。容赦のない日差しに照り付けられて、陽炎が立ち昇る道を急いで駆け抜ける。京都の市街をなんとか抜けて、北山へ入ると、急に空気がひんやりして、ようやく生きた心地にありつける。

 元伊勢のある丹後へのルートはいくつかあるが、ぼくは、北山から丹波、綾部と抜けていく道が好きだ。こんもりとした樹林が続き涼しく、交通量も少ないということもあるが、ずっと山道を辿り、丹後に近づいていくと、少しずつ景色が広がりをもって来て、空気にだんだん海の香りが混じってくる、その変化が心地いい。

 同じような感覚は、伊勢へ向かうときや、中国山地のほうから出雲へ向かって行くときにも感じる。体を外気に晒しているバイクだからこそ、微妙な雰囲気の変化を敏感に感じ取ることができる。だからこそ、同じ「質」の聖地を嗅ぎ分けることもできる。

 元伊勢という地名は、あまり聞き慣れないかもしれないが、じつは、近畿には、「元伊勢」と呼ばれる場所が25ヶ所あまりある

 今からちょうど2000年前、第10代崇神天皇の時代、都で疫病が流行った。その原因が天照大神を朝廷の中で祀っていることに起因するという神託が下り、天皇の皇女豊鋤入姫命(トヨスキイリヒメノミコト)が「御杖代(みつえしろ)」となって天照大神を戴いて大和を発つ。そして、各地を点々とする。しかし、安置できる場所を確定できぬまま豊鋤入姫命は亡くなり、その遺志を継いだ第11代垂任天皇の皇女倭比売命が、ようやく伊勢に到着したと伝えられている。大和を発って伊勢に落ち着くまで、じつに80年あまりもかかる。その間、天照大神を祭る候補地とされた場所が、「元伊勢」として今に残っている。

 丹後の元伊勢はその一つだが、ここだけは、他の元伊勢とは異なる特徴がある。それは、内宮外宮を持ち、五十鈴川が流れ、御神体とされる山があるなど現在の伊勢に極似した形態を持っていること。また、変遷の過程で、ここにはいちばん長く鎮座し、ほとんど永遠の鎮座地として確定されかけたふしがあることだ。

 では、何故、ここに天照大神を奉じた倭比売命は落ち着かなかったのか。それは、この場所が大江山の酒呑童子として知られる鬼の支配する場所だったことに関係している。詳しくは、また別の機会で紹介しようと思うが、この元伊勢の御神体であり、人工のピラミッドではないかと噂されている日室岳が、その裏手に聳える鬼の本拠地、大江山から目下に見下ろす構図から、日本史の中の隠された部分が見えてくるとだけ言っておこう。

 元伊勢のある大江町は、福知山のほうから境界を越えて入ると、等身大?の赤鬼と青鬼が迎えてくれる。初めて訪れて、それが薄暮の時間だったりすると、本物の鬼が出たかとギョッとするような像だ。そして、町内に入ると、鬼団子だとか鬼そばだとか、果ては鬼の交流館だとか、「鬼」一色になる。由緒ある聖地であるはずの元伊勢は、跋扈する鬼たちの後ろで控えめに存在している。それも、元伊勢というか丹後という土地の面白いところであり、「正史」とされる歴史の裏側を暗示している。

関連ページ―
●伊勢-元伊勢ライン
●夏至の結界
●若狭・不老不死伝説

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