近畿の五芒星を巡る

 いろいろな場所を巡り歩いていると、初めて訪ねた土地で、ふいに「ここには確かに来たことがある」というデジャヴュに襲われたり、久しぶりに故郷に帰ったような安堵を感じることがある。どこか他の場所や故郷と自然環境や文化が似ているといった単純なことではない。何かもっと根源的なものが直接心を刺激する

 そんな、土地から受ける不思議な感覚とは何か。心を刺激する根源的なものとは何か。そのことがずっと気になっていた。

 じつは、ぼくがレイライン探索をはじめたのも、そんな土地と人にまつわる疑問を解き明かしたいというのが、きっかけの一つだった。

 この世には、たくさんの聖地が存在する。その聖地の中には、同じ「雰囲気」を漂わせている聖地が複数ある。そして、ある聖地を訪ねたときに、他の聖地と同じ「質」を感じることがある。聖地の由来を調べてみると、そこにははっきりとした関連性が読み取れる。そして、それらの聖地を結ぶと、そこには明確なレイラインが立ち現れてくる。

 古代の人たちは、特別な土地を見分ける方法、感覚を身につけていた。そして、彼らは聖地にランドマークを置き、同じ「質」の聖地を結びつけて、何かの目的のために、レイラインというネットワークを築いた。

 そんな視点で土地から受ける不思議な感覚を考えると、自分の中に古代人たちと同じ感覚が残っていて、それが土地との対話とでも言えるようなことを可能にしているとわかる。

 レイラインを巡って何が面白いのかという質問を受けたとき、ぼくは、「忘れかけていた古代の人間たちの記憶が自分の中に眠っていることを発見できることだ」と答える。そして、「聖地と対話することで、自分が大地や宇宙と一体であることを実感できるのが楽しいのだ」と。

 今回紹介するのは、そんな古代の叡智の中でも、極めつきに壮大で、しかも誰が見ても明確なものだ。日本にこれほど大規模なレイラインが存在し、それが古代人の明確な意図のもとに築かれたことを知ったとき、ぼくは戦慄するほどの興奮を覚えた。

 大和武尊にまつわる聖地「伊吹山」、伊勢とまったく同じ構造を持ち、それより古い謎の聖地「元伊勢」、伊弉諾神(イザナギノミコト)がそこで眠る幽宮と伝えられる「伊弉諾神社」、神武東征神話にまつわる「熊野本宮」、天照大神を祭る「伊勢」。近畿に点在するこの五つの聖地は、一見したところ、遠く離れていて、無関係に見える。

 ところが、この五つの聖地を結ぶと、そこには、1辺が170kmの巨大な五芒星が現れる。日本には神社が無数にあるから、うまい位置にある神社を結べば、同じような形が描けると思うかもしれない。だが、この五芒星の内に隠されたものと、それぞれの聖地の関連性、ライン上のスポットを見れば、これが間違いなく人工的なレイラインで、明確な意図を持っていることがわかる。

 それぞれの聖地の創建年代から、およそ2000年前に形作られたと思われる五芒星。この五芒星に内接する五角形の頂点には平安京があり、底辺の真中には飛鳥京、そして中心には平城京がある。その平城京では、出雲大社と伊勢、富士山と伊弉諾神社を結ぶ長さ350kmのラインも交差している。すべての中心として、平城京は築かれ、他の古代から中世都市もこの五芒星を基準に創建されているわけだ。

 五芒星は、それ自体が正五角形に内接し、その内側に正五角形を描き出す。五芒星と正五角形は合わせ鏡のように無限に連鎖していくので、そこに「魔」が入りこむと抜け出せない。さらに東洋では五行説と結びついて、正五角形と五芒星のそれぞれの頂点が火、水、木、金、土に当てはめられ、正五角形ではそれぞれが生かしあう「相生」、五芒星ではそれぞれが牽制しあう「相克」の関係にあって、これまた無限連鎖の一筆書きの中に「魔」が閉じ込められるとされる。

 今回は、この2000年前に形作られた近畿の五芒星を辿り、古代の人たちが仕掛けた謎と彼らの土地と感応する感性に迫ってみようと思う。

―関連ページ―
伊勢-元伊勢ライン
●夏至の結界
●若狭・不老不死伝説
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