3月22日から31日まで、北茨城にある東西金砂神社の72年毎の大祭、「磯出大田楽」が開催された。
大同元年(806)、宝珠和尚が両山を開き、山王二十一社を建てて国家鎮護の霊験を現す。そして、大祭礼を72年に一度、小祭礼を7年に一度開き、国家鎮護と五穀豊穣を祈念することになったと「金砂山縁起」に伝えられている。ちなみに、今回の大祭礼は17回目にあたる。
先の金砂山縁起によれば、常陸の水木浜に黄金の膚に九つの穴を持つ鮑躰の神様が現れ、これを金砂権現(鮑形大明神)と称して祭ったと言われ、「東金砂山は、東方の浄瑠璃王、衆病悉く除くことを司る如来なり。西金砂山は、南方の能化、大慈悲を持って衆生の満願を主る大士なり。故に両峰の風情、金胎を表して、東西に山を開く....」とある。
金砂磯出大田楽は、この故事に因んで、内陸にある東西金砂神社を出発した行列が、途中、各地の産土に田楽を奉納しながら、50kmあまり離れた日立市の水木浜まで行幸し、ここで新たにご神体を受けて、再び東西金砂神社に戻るというもの。天孫降臨で邇邇芸命を迎えに行った猿田彦命を先頭に、巫女や稚児、金砂の守り神である猿、神楽、獅子、神輿、そして宮司など500人を数える行列が静静と進む。
古い街道の交通を遮断して、この行列が通り過ぎるのに1時間あまり。沿道には、たぶん一生に一度の機会を見逃すまいと集まった人たちで賑わっている。
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露払いをつとめる猿田彦命。海からやってくる天孫を迎えるという構図は、全国に共通して見られる |
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田楽につきものの笛が、静かな山里に響く。どことなく、春の長閑な風を連れてきたような雰囲気 |
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黄金の膚に九つの穴を持つ鮑形大明神を安置した神輿が練り歩く |
今までの磯出大田楽の歴史を振り返ると、この祭礼の前後に世界的な天災や飢饉、戦争などが起こっている。平安京の疫病、蒙古襲来、天明の飢饉、世界大恐慌等々、そして、今年のイラク戦争と、大変動が目につく。
先に紹介した伝説では、水木浜に上がった鮑形大明神をお迎えして大甕の中に潮を満たして安置するのだが、ちょうど72年が経つ頃にその潮が干上がりかけて異変を引き起こすと言われる。72年が経ち、新たなご神体を大甕に迎え、新しい潮で満たすと、世界が生まれ変わり、新たな命が育まれると。
その伝でいけば、今年の祭礼によって混乱している国際情勢は終息に向かい、長い不況であえぐ日本も、そろそろ浮上して、明るい未来に向かっていくのだろうか。
ところで、72年という数字はなかなか興味深い数字だ。十干十二支の還暦にさらに十二支をプラスすると72年。60年前のことなら記憶している人も多くいるだろうが、72年となると、そう多くはない。今年の祭礼も、前回のことを記憶している人が少なく、考証し、再現するのに何年もかかったという。
「天災は忘れた頃にやってくる」という。72という数字は、人の一生の中で、ちょうど一世代が入れ代わり、前の時代の記憶が薄れるマジックナンバーといえるかもしれない。
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現在の金砂田楽は四部構成だが、元々は、七部から成っていたという。まず、上座に据えられた神輿に向かって巫女舞が奉納される |
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東西南北四方に向かって、剣と長刀を振るい、「四方固め」を行う猿田彦命。海からやって来る天孫を迎え、土着の産土を鎮めるのか? |
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胴が長く、低く構えた独特の獅子舞。ゆっくりした動きで四方を睥睨する。自然のおおらかさを象徴しているのか、優雅に見える舞だ |
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最後に三匹の鬼が登場し、周囲を威嚇する。元々金砂の山に棲んでいた鬼が、恭順して山に帰る。金砂の守護神である猿が神輿の前でずっと餅を焼いていて、鬼たちは、それをもらって山へ帰っていく |
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3月31日早朝。最後の大田楽が行われた本丸会場には、1万人の観客が集まった。今年の祭りの期間中訪れた人は、延100万人を数えた |
水木浜での神事は、いまだに非公開の秘儀で、1200年前と同様、金膚九穴の鮑形大明神を新たに迎えるという。今年の神事でも、ここまでの田楽は広く公開されていたが、この神事だけは、外から目につかぬように垣根の内で、夜中、密かに執り行われた。
東西金砂神社のある東金砂山、西金砂山は、それぞれ茨城県と福島県の県境に近い阿武隈山塊の中にある。どうして海に上陸した神様をここまで運んで安置しなければならなかったのか?
じつは、東西金砂山だけでなく、その周辺にある堅破山や花園山といった記紀神話や常陸国風土記に登場する聖山も、同じように海からやってきた神を安置する山上の神社という伝説を持っている。さらに、金砂神社と同様に、海へ神を迎えに行く磯出大祭を近世まで行っていたという。
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