レイラインハンティングという手法

【レイラインとは】

聖地とされる小高い丘に登り、周囲を見渡す。
すると目の前に、先ほど訪ねた丘が見える。
さらにその先におぼろに霞んだ丘が見渡せる。
そこも古代から人々に崇められてきた場所だ。
...ふと、不思議なことに気づく。
遠くに見える丘は、目の前の丘と、今、自分が立つ場所を結ぶ
その直線の上に位置している...。
地図で確かめると、直線はどこまでも伸び、
その上には数え切れないほどの「聖地」が並んでいる。
 聖地を結ぶこの直線を「レイライン」と呼ぶ。
いったい、いつ、誰が、何の目的で、大地にこのラインを刻んだのか?
それは、もしかしたら、太古に人類が獲得しながら、
いつしか忘れ去られてしまった叡智を示しているのかもしれない。
我々がその存在を忘却し、しかし、今いちばん必要とされている叡智を...。
「地球は、まだまだ驚きに満ち溢れている」

 レイラインという言葉は、1920年代のイギリスで生まれた。

 コーンウォール州ヘレフォードシャーの醸造業者で地方検事を兼ねていたアルフレッド・ワトキンスは、仕事柄ヘレフォードシャー周辺を 巡ることが多く、いつも馬に乗って駆け回っていた。彼は熱心なアマチュアカメラマンでもあり、暇があれば故郷の田園風景を写真に収めてい た。

 1921年6月30日、ワトキンスが65歳のとき、ブレッドウォーデンという町の近くの丘の上で、何気なく景色を見渡したとき、古い 教会や、直立石、人工の丘(マウンド)などが直線上に連なっているのに気づいた。

 当時、イギリスではR・ヒプスレ―・コックスの『イングランドの緑路』(1914年)という本がベストセラーになっていた。この本の 中で、コックスはイングランド各地に見られるマウンドが石器時代から青銅器時代に作られた直線路のネットワークの中間地点を示す標識だと 紹介していた。また、ストーンヘンジのような巨石遺構はそうした標識であると同時に天文台の機能も持っていたと記していた。ワトキンス は、このコックスの著作に心酔していて、眼下に直線路を認めたときにすぐにコックスが主張していた古代の直線路ネットワークを思い浮か べた。

 ワトキンスはこの直線路を「レイ(leys)」あるいは「リー(leas)」と名づけた。これは、直線路上に「レイ」という語尾を持 つ土地名が多いことに因んだもので、彼は「レイ(leys)=草原」という意味を単純に当てはめて、「田園を走る草原の道」といった意味 で用いたにすぎない。ところが、「レイ(leys)」という言葉は、考古学者ウィリアムズ・フリーマンが、「囲われた土地=禁足地」とい う古い意味で使っており、フリーマンも独自に古代の境界線を示す目に見えぬ路を探求していたため混同が起こる。

 コックスの『イングランドの緑路』では、イングランドに見られる直線路は単純に二点間を結ぶ最短経路とされていて、ワトキンスもこれ に習いレイラインはもともと、塩、燧石(フリント)、土器などを運ぶための先史時代の交易路だと考えた。そして、教会やマウンドなど宗教 的な施設がライン上に並んでいるのは、後になってこの交易路に宗教的な意味合いが付け加えられたからだと考えた。

 ワトキンスは、レイラインを純粋に実用的な路と考えたわけだが、研究を進めていくにしたがって、すでに古代から宗教的な意味が含まれ ていたことに気づく。そして、彼はギリシアの諸都市を結ぶ直線路を調べていた際に、それがヘルメスと関係していることを発見する。ヘルメ スはギリシアの神々の伝令を務める神であり、道の守護神、旅の守護神とされる。ここから、レイラインが古代の神と関係していると考えたワ トキンスは、イギリスの直線路に当てはめてみる。すると、彼が見つけたレイラインも古代の信仰に関係していることを突き止めた。

 このワトキンスの報告がきっかけとなり、レイラインを見つけ出し、そこを訪ねて太古の歴史を探る「レイハンター」たちが活動するよう になる。 イギリスでは、レイラインの多くは、ケルトあるいはそれ以前の時代にまで遡る遺跡を結んでいるといわれ、 そこには、ストーンヘンジや、ドルメン、メンヒルなどの古代の聖地が多く含まれている。

 レイラインの中でもっとも有名なものは、イングランドを北東から南西に横断する「セント・マイケルズライン」と呼ばれるもので、この ラインを発見したのは古代史研究家のジョン・ミッチェルだった。彼が1969年に刊行した『アトランティスの記憶』の中でこのセント・マ イケルズラインが紹介され、第二次世界大戦を挟んでに一時沈静化していたレイハンティング熱を再び呼び覚ますことになった。

 ミッチェルは、サマセットにある二つのマウンド‥バロウブリッジ・マンプとグラストンベリー・トールを結ぶラインが、五月祭の日の出 の方向に一致するのに気づいた。どちらの丘も、その頂上に中世のセント・ミカエル教会があった。地図上でこのラインを伸ばすと、その線上 にはセント・ミカエルを祀った教会かドラゴン伝説と関連する場所が並んでいた。この直線は、コーンウォール沖に浮かぶ島、セント・マイケ ルズ・マウントを起点に、ボドミン・ムーアストーンサークル、ダートムーアストーンサークル、さらにエイブベリーの先史時代のストーン サークルコンプレックスを経て、ミッドランド・ブレインの尾根伝いに走り、中世イングランドの二大僧院、グラストンベリー及びベリー・セ ント・エドマンズから、セントマイケルに捧げられたおびただしい数の教会を繋ぎ、ロウス トフト北の海岸線にまで達する。その総延長は約650km。ブリテン南部を貫く最長の直線だ。

 この「セント・ミカエル(マイケル)」は土地に潜む龍を退治したと伝えられる聖人で、日本式にいえば「土地鎮め」の神にあたる。その セント・マイケルを祀る聖地が、メイデイの太陽の光の運行線上に並んでいることになる。このことからミッチェルは、レイラインが太陽の力 と大地の力を結びつけるものだと考えた。そして、"ley"という言葉が古語では「光」の意味もあったことから、"leyline"を 「光の道」という意味でも用い始めた。


【日本のレイライン】

 このセント・マイケルズラインを凌駕するレイラインがある。それが存在するのは、ほかならぬこの日本だ。

 それは、「御来光の道」と呼ばれる春分と秋分に太平洋 から登った曙光が貫くレイラインで、 その線上には、千葉県の上総一の宮、神奈川の寒川神社、静岡の富士浅間神社、富士山頂、日蓮宗の霊山として名高い七面山、 琵琶湖の中に浮かぶ竹生島、大山、出雲大社の北に位置する日御崎神社と、名だたる聖地が並ぶ。その延長はぴったり700kmに達する。

 他にも、奈良在住の写真家小川光三氏 が紹介した「太陽の道」なども、日本の代表的なレイラインだ。「太陽の道」は、伊勢の斎宮から、奈良の長谷寺、三輪山、桧原神社、国津神 社、箸墓と通り、淡路島の伊勢の森に達する。

 レイラインの多くは、春分や秋分、冬至、夏至といった日の太陽に関係している。 そのことから、これは太古の人たちが暦として利用したのではないかといった説もある。 だが、「御来光の道」では、人間が築きようもない自然地形が多く含まれる上に、規模が大きすぎて、「暦」説には当てはまらない。

 日本国内でレイラインと考えられるものは他にも多数ある。中には、北斗七星の形に聖地が配列されていたり、 鬼門や裏鬼門、四神相応を連想させる配置など、陰陽道や風水の影響を受けていると思われるものも多い。 陰陽道や風水といったものは太古からのプリミティヴな信仰を経験則に基づいて体系化していったものだから、ルーツを辿ればレイラインと共通の原理が見てとれる。

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【レイラインハンティングの方法論】

 そもそもレイラインや聖地の構造が示す法則性のルーツは何だろう。
 自然の中に身をおいた経験がある人なら、そこにいるだけで、なんとなく落 ち着く場所があったり、逆に何故か気分が落ち着かずそこには長くいたくないと思える場所に出くわしたことがあるはずだ。そんな感覚こそが、 聖地やレイラインを生み出した源ではないだろうか。

 元来、人には、土地に秘められた「雰囲気」を感知する力が備わっているのではないだろうか。太古の人たちは、現代人が忘れてしまっている大 地と共感する方法を知っており、それを我々が電子機器を当たり前のように使っているように、ごく普通の感覚として使っていた。そして、彼ら は、大地から受ける力がとくに強い場所を聖別し、ランドマークを印した。それが聖地ではないだろうか。

 そして、個々の「聖地」が持つ力を増幅 したり、うまくコントロールするための大掛かりな装置がレイラインかもしれない。そんなふうに言うと、オカルトじみて感じるかもしれないが、 レイラインがそこに存在する以上、そこには何かがあるのだと思うのが自然だろう。


 太古、古代にレイラインや聖地を整備した人間たちは、自らの感覚で、その場所が他の場所とは違う何かを秘めていると感じ、そこを聖地と したのだろう。さらに聖地内の構造を太陽や星の動きとシンクロさせたり、他の聖地とのネットワークをレイラインとして築くことで、何かの 作用を生み出そうとしたのではないか。近年、人間にも鳥や他の動物と同じように地球磁場を感じる能力があるという研究結果が発表された。 今は、様々な電磁波ノイズが飛び交っていて、そんな能力も撹乱されてしまっているだろうが、電子機器などない昔は、的確に方位や地球磁場 の偏差などを感知できていたのかもしれない。

 レイラインハンティングのサイトを立ち上げたばかりのときに、地質調査を仕事にしている人から連絡をもらった。彼は、フィールドで調 査しているときに、断層に沿って神社仏閣や遺跡が並んでいる現象に出くわし、ずっと不可解に思っていたのだという。たまたまレイラインハ ンティングのサイトを見つけて、過去に「土地鎮め」として神官や僧侶が結界を施した場所が断層に沿っているケースが多いことや、そういう 場所を見つける能力が本来人間には備わっていたこと、さらに特別そうした感覚が強いシャーマニスティックな人間が神官や僧侶になったとい うことを知って、納得がいったのだという。彼も、以前から地質探査をしているときに土地によってそこに漂う雰囲気が異なることは気づいて いたという。

 昔の神官や僧侶、シャーマンが持っていた感覚を様々なデバイスによって代用し、さらに様々な資料を再検討することで、聖地やレイライ ンの意味を再び見出す。それがレイラインハンティングという手法だ(先に紹介したように、本場のヨーロッパでは、レイラインを探すことを 「レイハンティング」と呼ぶが、私はあえてその言い方をさけ、自分の手法を「レイラインハンティング」と呼ぶ。それは、レイハンティング では多分にスピリチュアルやオカルトの要素が含まれていて、ときに客観性を欠いていて、自分の手法と乖離しているためだ。スピリチュアル やオカルトと一線を画すために、あえて異なる呼び方をしている)。

 歴史的な事物の調査では、まず文献資料を徹底的に調べ、さらにフィールドワークを行ってデータを集め、それを解析するというのが普通 のやり方だが、レイラインハンティングでは、シミュレーションとフィールドワークからはじめ、文献資料にあたるという逆の手法をとる。

 シミュレーションではデジタルマップを使用する。ある聖地を調べようと思うとき、まずその聖地の構造をデジタルマップで解析する。た とえば寺社なら、社殿や参道の方向、本殿と境内内の摂社の位置関係などから、そこが古代の太陽信仰と関係が深いのか、あるいは仏教的な浄 土観を表現した場所なのか、それとも何か別な具体的意味が込められているのかが特定できる。

 さらに、マップを俯瞰して見ることによって、 聖地がレイラインとしてネットワークしている可能性も浮かび上がってくる。仮のレイラインを引き、その位置関係を見た目だけではなく関数 を使って正確に割り出す。すると、有意なネットワークが浮かび上がってくる。この段階で、レイライン上に並ぶ聖地の関連性を文献などで調 べることになる。たとえば、同じ祭神が祀られていたり、神話上のエピソードで繋がりがあったり、あるいは創建した人物が同じであったりと い うことになれば、そこには「物語」が秘められている。

 フィールドワークは、シミュレーションで浮かび上がってきた聖地やレイラインに秘められた「物語」を実地に検証することが主眼とな る。かつては神官や僧侶やシャーマンが持っていた感覚をGPSや経緯儀、ガウスメーターといった最新のデバイスで代用して、「見立て」を 行っていく。

 そして、最終的に集められたデータを元に、かつて伝えられていた「物語」を再構成して、これを新たな観光資源として活かしていくこと になる。

 レイラインハンティングはいわば地図遊びから歴史の深部に分け入っていく手法だ。だから、誰でもすぐに手軽に始めることができる。専 門知識や読解のスキルが必要な古文献は、それを入り口にしようとすると敷居の高さにすぐに諦めてしまうが、地図遊びで浮かび上がってきた データを読み解きたいと思えば、その敷居もぐっと低くなる。

 聖地観光研究所では、聖地やレイラインの公式調査の他に、レイラインハンティングを学べる講座やワークショップも開いているので、ぜ ひ参加して欲しい。身近にたくさんある寺社の方位をスマホのコンパスアプリで調べるといった単純なことで、この世が意味に満た されていることがわかり、世界観が一変し、なんでもない世界と思っていた身の回りがワンダーランドに思えてくるはずだから。

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